ドイツ・スイス・フランス 写真 旅行記

ドイツ・スイス・フランス 写真旅行記

訪問先 : リューデスハイムニーダーヴァルトの丘ライン河クルーズハイデルベルクローテンブルクロマンチック街道ヴィース教会フュッセンノイシュバンシュタイン城インターラーケンユングフラウヨッホクライネシャイディックパリベルサイユ宮殿ルーブル美術館セーヌ河クルーズモンサンミッシェルヨーロッパの貨物車編集後記ステレオ写真壁紙

H24.10.6 更新

これは平成21年7月初旬に旅行した記録です。


クライネシャイディックにて


飛行機の窓からのビデオ映像
下の飛行機画像をクリックしてください

ルフトハンザ B737−300

☆関空からフランクフルト 所要時間:11時間33分

 出発2時間前に関空国際線フロア(4F)に集合。ツアー会社の受付で注意事項を聞いた後、関空−フランクフルト空港のチケット(LH741便、10:20発)を受け取る。ルフトハンザのチェックインカウンターで搭乗券をもらい、スーツケース等を託送荷物として預ける。一人20kgまでで、夫婦で一つのスーツケースなら40kgのスーツケースまで大丈夫とのこと。荷物を預けるのと交換にクレームタグを受け取る。出国審査に一人ずつ進み、パスポートと本人の確認を受ける。
10:05に11番ゲートを通って飛行機の機首入り口から機内へ。私達の席は後ろの方だったのでかなりの距離を歩いて辿り着いた。10:39に加速とともに滑らかに離陸。 高度が上がっていく程に機内の気圧が下がるので、耳に違和感を感じる。飛行航路は北周りで、高度は11,000m前後、飛行速度は880km/h前後、外気温は氷点下55℃前後と極寒の世界。
11:30にドリンクサービスと軽食。13:10に昼食(ビーフかポーク)。15:20におにぎり。20:20に夕食でサケ弁当。食事の前には熱々のオシボリがピンセットで配られ、手を拭くとアルコールが含まれているのか10秒くらいで冷たくなる。どの食事も美味しく機内食としては十分満足のいくものであった。

サマータイムで時差が7時間あるので、時計の針を7時間遅らせる。
ドイツが近くなってからは、窓の外に積乱雲が沢山見え、飛行機は乱気流の中を飛ばざるを得なく、ジェットコースターに乗っているような感じで、手を離しては立って歩けなくなり、ちょっと不安になった。
14:40高度が下がり始め、15:12無事ドイツフランクフルト空港に着陸する。飛行時間は11時間33分。流石に12時間近く飛行機に乗り続けていると尻が痛くなった。

ルフトハンザのヨーロッパ線はA340−600
とても長い(75.3m)機体が特徴
平成21年4月に就航した新しい機体だ
エコノミークラス 座席は2−4−2配置
全ての席にディスプレイが有り、映画やテレビ
ドラマにフライト情報などが楽しめる
最後部のトイレは広くてきれいである。
ベビーボードもあった。 トイレは他にも機体
中央の階下に6個まとまってある
飲み物とドイツのスナック菓子プレッツェル(Brezel) 昼食 手前の大きい皿は2択(これはビーフ) 夕食 サケ弁当(左はフルーツ)


☆フランクフルト(Frankfurt)からリューデスハイム(Rudesheim)へ バス移動距離:約61km、所要時間:48分

 15:56 スーツケースの目印ベルトを頼りに受け取ろうかと待ち受けていたら、ポーターの人が荷物をバスまで運んでくれた。この後も自分でスーツケースを運ぶことは、ホテル内の自分の部屋までの僅かな移動以外殆どなかった。
 バスは全工程大型バス貸切で、乗車人数は24名なのでゆったりとしていた。バス座席は指定ではなく、席は譲り合って交代してくださいとのことでしたが、乗り物に弱い人が居たり、後ろの席でワイワイと楽しみたい人が居たりで、多少の移動はあるものの大きな座席交代というのはなかった。無理やり交代制にするよりは、本当の意味での譲り合いの結果だったのだと思う。

 フランクフルト空港は都心から南西に10km程外れたところに在り、空港から西方向に向かうと都心を通らずにリューデスハイムに至る。リューデスハイムに近づくに従い葡萄畑が増えて、リューデスハイム一帯がドイツワインの産地であることが分かる。 16:54リューデスハイム着。
今日の宿泊はホテル・トラウベ・アミューラー(HOTEL TRAUBE AUMULLER)、ライン河沿いのお洒落なホテル。ホテルの前には、白い髭とパイプがバッチリきまってるメルヘンに出てきそうなお爺さんが座って迎えてくれた。このお爺さんは何時見ても同じ場所におなじ姿勢で座っていた。

フランクフルト、空港からのリューデスハイムまで
のバス(白いバス)へ向かう
リューデスハイムへ向うバスの車窓からの葡萄
畑左下のお爺さんがホテル前で陣取っていた
宿泊したホテル トラウベ・アミューラーとここまで
送っていただいたバス


リューデスハイム(Ruedesheim)

 北はニーダーヴァルトの丘が迫り、南は道路に鉄道、そしてライン河に挟まれた人口1万人程の町で、ワインと観光地で有名のようだ。
7:00 ホテルの朝食はバイキング形式で、早朝と時差の疲れもあるが、各々お皿一杯に料理を取り分けて朝食を楽しむ。ドイツのパンは何処でも美味しい。写真のパンは(モーンゼンメル Mohnsemmel)。
 8:25 バスに乗り、葡萄畑の間を縫って一路ニーダーヴァルトの丘へ登った後リューデスハイムに戻り、つぐみ横丁(Drosselgasse)へ。ここは狭い道の両側に酒場や土産物屋が犇めく一番の賑わい通りだ。この道の奥に位置するワイン試飲の店(二コルスNICORAS)に入る。薄暗い地下蔵にワインの樽が並び、薄暗い電球色の店内でドイツワインの説明を受ける。アイスワイン(真冬の凍った葡萄をそのまま絞って作る)の試飲、そして5種類のワインを少しずつ試飲した。ドイツでも北の地ではワインが赤くならないので、白ワインが多いとのこと。酒豪ではない私は口当たりの爽やかなフルーティーなワインカビネット(Rheigauer Kabinet)が美味しかった。これを含めてワインを9本注文した(宅配してくれる)。つぐみ横丁からちょっと離れた酒場(日本の立ち飲み屋風)には刺青をしたプロレスラーのような多くの男女が犇めき合って、酒とたばこでむせかえっていたので日本人がちょっと入るのには勇気が要りそうだ。

ライン河沿いの幹線道路ライン通り
この左手にリューデスハイムの街が広がる
ライン河を挟んで対岸の街ビンゲンを見る
手前の看板はライン河クルーズ船の乗り場案内
ホテル トラウベ アミューラーの朝食バイキング
パンはモーンゼンメル(Mohnsemmel)ケシの実
つぐみ横丁脇のカフェテラス つぐみ横丁の一本西側の通り(人形と花屋さん)
(左手は拷問博物館?)
ライン通りのレストランでビールを傾ける
つぐみ横丁の看板(ネオンサイン)類 つぐみ横丁の終点近くにあるワイン試飲のニコラス 地下蔵でアイスワイン等5種類のワインの試飲
KDラインの船着場からドイツ鉄道の線路を挟ん
で見るホテル街(左手はライン河)
ニーダーヴァルトの丘へのゴンドラ乗り場前の
広場左手にはクリスマスマーケットが
ドイツ(リューデスハイム)で買ったスパークリング
ワインとカビネット


☆ニーダーヴァルト(Niedarwald)の丘

 フランスvsプロイセン(普仏戦争)の戦いに勝利した2年後(1873)に、ドイツ統一の記念にゲルマニア像(女神)が建立された。中央の高い大きな像が女神像、中段の向かって左の像が男性で剣を持って戦争を表し、向かって右の像は女性で平和を表している。ニーダーヴァルトの丘へは、リューデスハイムからバスで10分くらい登り、駐車場から2、3分木立の間を歩くと一気に視界が開ける。
リューデスハイムからはゴンドラリフト(2人乗りで10分)でもニーダーヴァルトの丘へ行くことが出来る。ここはライン河からよく見える丘の上で、広場の周りは葡萄畑と森しかない。展望台からの眺めは素晴らしく、雄大なライン河を広く見渡すことが出来る。

ゲルマニア像前の展望台広場
人垣の向こう側の眼下にはライン河を一望
中央の像は高さ10.5mゲルマニア女神像
全体では35mの高さがある。
上のレリーフは、馬上の皇帝ヴィルヘルム1世
を中央に、その右には宰相ビスマルクが立ち、
200人の等身大の人物像が埋め込まれている
リューデスハイム(左側)とライン河
(右手前が下流)
展望台から対岸のビンゲン(Bingen am Rhein)
の街を望む
ドイツ皇帝の王冠を右手で掲げ、剣を左手に
持つゲルマニア像女神像


ライン河ランチクルーズ 所要時間:1時間40分

 遊覧船でのライン河下りはマインツ(Mainz)からケルン(Koln)までの185kmが対象となるが、私達はリューデスハイムからザンクトゴアまで乗船した。乗船料金はKDラインで14.9ユーロ。ライン河クルーズは、リューデスハイム(Ruedesheim)からサンクトゴア(St.Goar)までの1時間40分のクルーズで、私達は船内でのランチを頂いた。最初にスープが出て、サラダとポテト&フィッシュフライ、最後にデザートのゼリーが。飲み物は別料金で、私達はビールを注文した。食事をしているとライン河畔の景色を鑑賞(写真撮影)するのには不向きで、反対側の船窓からの景色を撮影するには、マナーに反するが食事中に船内を右舷に左舷にと走り回らなければならなかった。ライン河クルーズは、屋上のデッキで風を受けながらのクルーズがライン河の景色を堪能するには一番良いのかもしれない。

乗船したクルーズ船(KDライン) デッキから見るエーレンフェルス城 下船したザンクトゴア船着場
船内レストランでの昼食 スープの後にこのメインディッシュとサラダ 食後のデザート


☆ライン河

 ライン河は、ユリウス・カエサルがガリア(現在のフランス)をローマ帝国に組み入れた際の東の境界線がこのライン河で、ライン河は狩猟民族のゲルマン人からの攻撃を護る重要な河(防衛線)であった。従ってライン河のフランス側はローマ帝国の時代からの歴史があり、左岸にはローマ軍団基地から発展した古くからの都市(ボン、コブレンツ、マインツ等、ケルンはウビイイ族が集団移住して出来た)が多い。中世以降はライン河を通行する船から関税を徴収するための城が多く建設されて、それが今に残る古城となったようである。今も多くの貨物船が行き来する重要なライン河である。ライン河はアルプスを源にボーデン湖を経て約1320km流れて北海に注ぐ大河である。

 10:20 リューデスハイムの船着場から離れると、最初に見えてくるのは対岸の人口約2万6千人のビンゲン(Bingen am Rhein)の街並みだ。街の高台にはクロップ城(Burg klopp)が在り、現在は市庁舎として使われている。ライン河中州にはねずみの塔(通行税の徴収用監視塔。強欲なマインツ司教がねずみに食い殺されたことからこの名前に)が出迎えてくれる。右岸にはニーダーヴァルトのゲルマニア像が遥か丘の上に見える。綺麗に筋状に並んだリューデスハイムの葡萄畑が続き、ポツンとエーレンフェレス(Ruine Ehrenfels)の城址が現れる。ねずみの塔と共に通行税を徴収するために、マインツ政府が建てた。
左岸には、ファルツベルク城跡に19世紀に改修されたラインシュタイン城(Bruk Rhinstain)が建てられました。1842年には新ゴシック様式の礼拝堂も建てられて、現在ではホテルとしても利用されているようだ。美しい城として名高い。
 暫くすると右岸に、鉱泉と赤ワインの産地で有名なアスマンスハウゼン(Assmannshausen)の街が見えてくる。最も古いライヒェンシュタイン城が在る街、トレヒティングスハウゼン(Trechtingshausen)を過ぎると、左岸にニーダーハイムバッハ(Niederheimbach)の街とハイムブルク城(個人所有で公開されてない)が見えてくる。右岸にロルヒ(Lorch)の街が、その先にロルヒハウゼン(Lorchhausen)の教会、そしてライン河ギリギリに家が立ち並ぶ。

 ライン河は単なる観光河ではなく、今も多くの貨物船が行き交う重要な物資輸送ラインである。ライン河に沿ってドイツ鉄道も走っていて、ライン河は生きた動脈である。
暫く下ると、今も情緒溢れる町並みが残るバッハラッハ(Bacharach)だ。クルーズ船の船着場もあり、乗り降りする人も幾人かいた。街の上には宿泊も出来るシュタールエック(Stahleck)が在る。中洲に六角形の軍艦みたいな綺麗な城が見えてくるのはプファルツ城で、内部も綺麗に整備され博物館となっていて見学(2.1ユーロ)もできる。要塞としての当時の様子が良く分かるので一度は訪れてみたいものだ。プファルツ城から見上げるとファルケンシュタイン家のグーテンフェルス(Gutenfels)城がある。ここは戦争での廃城を逃れた城で、現在は古城ホテルとして使われている。少し下るとオーバーヴェーゼル(Oberwesel)の街が左岸に見える。町には細い塔が多く(16塔)見られる。街には赤い外壁のリープフラウエン(Liebfrauen)教会が、山上にはシェーンブルク(Schoenburg)城があり、ここは古城ホテルで宿泊することが出来、眼下にライン川が見えるシチュエーションと豪華な家具調度品で城主になったような気分が味わえる。

 ライン河が大きく右に曲がる箇所は、昔は流れも速く浅瀬であったため古来から航行の難所とされ、そこからローレライ伝説(不誠実な恋人に絶望してライン河に身を投げた美しい乙女。妖精となった彼女の歌声はライン河を行く漁師を魅了し、やがてはライン河の荒波に飲まれて水没する)が生まれた。右岸に迫る大岸壁(高さ130m)がローレライの岸壁で、頂上には人影と旗が2本見える。ローレライの岸壁の少し下流の中州にローレライの乙女の像がひっそりと佇んでいる。注意してないと見過ごしてしまうくらい乙女の像は周りの風景に埋没してしまっている

♪♪ローレライ♪♪ ハインリヒ・ハイネ作/近藤朔風訳

1、  ♪なじかは知らねど 心わびて、  昔の伝説は そぞろ身にしむ。  寥しく暮れゆく ラインの流  入日に山々 あかく映ゆる。
2、  ♪美し少女の 巖頭に立ちて、  黄金の櫛とり 髪のみだれを、  梳きつつ口吟む 歌の声の、  神怪き魔力に 魂もまよう。
3、  ♪漕ぎゆく舟びと 歌に憧れ、  岩根も見やらず 仰げばやがて、  浪間に沈むる ひとも舟も、  神怪き魔歌 謡うローレライ。

ローレライを過ぎ、猫城が右岸に見えてくれば左岸の街がザンクトゴアになる。
12:00 ザンクトゴアで下船。

ビンゲンの隣街ビンガーブリュック(Bingerbruck) 中洲に在る鼠の塔(モイゼトゥルム) Mauseturm ワイン畑が広がるアスマンスハウゼンの街
美しいとされるラインシュタイン城 ニーダーハイムバッハのハイムブルク城と教会 ロルヒハウゼン(Lorchhausen)教会
 
ロルヒハウゼン(Lorchhausen)の家並み ライン河を行き交う貨物船 シュタールエック(Stahleck)城
バッハラッハ(Bachrach)の船着場 関税を徴収した、中州に在るプファルツ城 カウプの街と、
  13世紀に建築されたグーテンフェルス城
 
塔が多いオーバーヴェーゼル(Oberwesel) シェーンブルク城と
    リープフラウエン(Liebfrauen)教会
556は源流のボーデン湖からの距離を表す
ザンクトゴアと猫城 中洲に鎮座するローレライ像
(左の男性と比べるとかなり大きい)
ローレライの岸壁(130m)、ライン河の難所
でもある


☆ザンクトゴア(St.Goar)からハイデルベルク(Heidelberg)へ  バス移動距離:約146km、所要時間:1時間45分

12:10 ザンクトゴアからは、ライン河クルーズで下った同じ経路の左岸を、バスでリューデスハイムの対岸まで遡り、そこから南西にハイデルベルクを目指す。ライン河クルーズで対岸に見た古城を真近に見ながら、復習するようなドライブになった。移動の大半は高速道路(61->60->656)を使うので、じっくり景色を楽しみながらとはいかなかった。13:55 ハイデルベルク城に到着。

ザンクトゴアからライン河左岸を遡る 塔が多いオーバーヴェーゼルの街 Bingerbruck?の街を通り抜ける
ドイツの高速道路アウトバーン 6号線からハイデルベルクへの道路標識 延々と続く小麦畑(収穫が終わった畑も)と集落


ハイデルベルク(Heidelberg)

 ハイデルベルクはネッカー(Neckar)河沿いに広がる学生の街と言われている。しかし、私達が訪れた7月初めには学生らしき人はあまり見かけなかった。人口は14万人あまり。街のシンボルは何と言っても丘の上に在るハイデルベルク城で、街中からもよく見える。ハイデルベルクの見どころはネッカー川の南側に広がる旧市街に集まっている。街の中ほどに架かる石組みのアーチ橋は、1788年に建造されたカール・テオドール橋(Karl-Theodor-Brike)で、新市街と旧市街を結ぶ。旧市街側の橋の袂には猿の像が佇んでいる。この猿の像は、左手に鏡を持っていて、天狗になっている学生たちに自分の顔を鏡で見てみなさいと諭している。この猿の顔の中に自分の顔をすっぽり入れることが出来、まるで猿の仮面を被ったような状態になる。14:50 私達がこの橋を訪れようとしたその時、風雨を伴ったにわか雨の来襲に見舞われ、カール・テオドール橋ではゆっくり観光を楽しんでいる場合ではなかった。これもまた旅の思い出を印象付ける自然の恵みである。

 学生の街と言われる大学は、選帝侯アルプレヒト1世が1386年にドイツで最初に設立した。旧大学構内には悪いことをした学生を閉じ込めておく(18世紀初めから200年程続いた)学生牢が今も残る。酒を飲んで暴れたりした学生がこの牢に3日程閉じ込められるが、昼はちゃんと講義に出ることは許された。当時の学生は牢に入ることで箔が付くと言って、卒業までに一度は入ってみたいと思っていた。
 マルクト広場には、ハイデルベルクでは重要な教会の聖霊教会(Heiliggeistkirche)がある。選帝侯ルプレヒト3世が1400年頃に建設を始め、1544年に現在の容になった。教会内部には歴代の選帝侯の墓があったが、1693年のプファルツ継承戦争の時に殆どが破壊された。

ハイデルベルクの街に入る ネッカー河に架かるカール・テオドール橋
ステレオ写真
カール・テオドール橋の袂に鎮座する猿(左手に
鏡が)
ハイデルベルク城を下の街から見上げる 街中を走る連結バス ハイデルベルク大学の新校舎?
 
大学広場を行く(右がハイデルベルク大学) 目抜き通りの賑わい ハイデルベルク市庁舎
ホテル「棋士亭」、1693年のフランス兵の焼き
討ちで唯一残った建物
聖霊教会前の広場 カフェのテントが並ぶ 数多くの果実酒を売る酒店


☆ハイデルベルク城 (Heidelberger Schloss)

 ハイデルベルクの街から狭いクネクネ道を登って行ったところにその古城がある。狭い道路なのに路上駐車があちこちにあり、通れないと諦めそうなところを大型バスが絶妙なドライブテクニックで擦り抜けていく。駐車場からの道路の下をケーブルカーが昇り降りしていた。街から歩いて登っても20分くらいで到着するので、健康のためには歩いたほうが良いのかも。 13:55ハイデルベルク城着。

 ハイデルベルク城は13世紀頃に建設され、プファルツの選皇帝の居城だったが、17世紀の二度の戦争で壊滅的に壊されておよそ現在のような容になった。城の入り口を入って最初に目にするのはエイザベスの門だ。フリードリッヒ5世が妃(エリザベス・スチュワート)の誕生日祝いのサプライズとして一夜にして建設された。フリードリッヒ5世(Friedrich D)とエリザベス妃は仲が良かったので、このエリザベスの門を背景にして夫婦で記念写真を撮ると幸せになれるとの言い伝えがある。チケット売り場から建物の中に入って橋を渡ると城門塔が目の前にそびえ建つ。ここには城の入口を防御するための跳ね橋(今は無い)、頑丈な扉、天井から落ちる杭の列がある。扉には魔女の噛み痕が残ったリング(取っ手)が磨かれたような光沢を放っていた。中庭に入って左側は一番古い(15世紀)ルプレヒト館で、入り口上部には双子の子供の彫像があるは。建築時の足場から転落死した大工の子供がモデルになっていると云う。入って直ぐ右は井戸があり、深さは16mである。右奥にはオットー・ハインリヒ館(1546年)がある。建物は壁だけしか残ってないが窓辺には彫像(英雄や神々))が多く残っている。中庭正面にはフリードリヒ館は1607年にフリードリッヒ4世が建てて、歴代の選皇帝の居住する建物として使われていた。正面の壁には歴代選皇帝の彫像が並んでいる。下から見上げたときにバランスよく見えるように、上層階の彫像程脚を短くしてあるそうです。建物を潜って奥へ抜けると、ハイデルベルクの街から見えるテラスに出る。このテラスからはネッカー河、聖霊教会、カール・デオドール橋等が一望できる絶景が眼下に広がる。テラスの床には、突然の火事から逃れるためにフリードリヒ館から騎士が飛び降りたときに付いた足跡と云うのがある。観光案内では、王妃の浮気相手の騎士が王に露見しそうになって飛び降りた足跡とか、フリードリヒ4世が飛び降りた足跡とも説明されているようだ。私の推測では、微かに残っていた足跡状の窪みが、観光客が同じ場所に靴を差し入れるためにより深く擦り減ったものではないかと想像する。城内にはワインを入れた樽が今も残されていて、大中小の樽があり、大きい樽はバス位の大きさ(直径7m、長さ8.5m)があり、見学は階段を登って樽のまわりを1周することが出来る。樽の前には大酒(ワイン)飲みのペルケオの彫像が樽を見守っている。ワイン樽の管理人であったペルケオが病気になった時に、ワインの飲み過ぎだから禁酒をして代わりに水を飲めばよいと勧められ、その忠告通りに水を飲んだら翌日に死んだとの伝説がある。ペルケオの彫像の横には樽を作った時の鉋(かんな)とコンパス、そして掛時計のように見えるびっくり箱(紐を引っ張ると尻尾のようなものが飛び出る)がある。

一夜にして出来たエリザベスの門
この前で夫婦の記念写真を撮ると幸せになる?
エリザベスの門を反対側から見る エリザベスの門から見る空堀と城壁
城門塔(左)と石橋(当時は跳ね橋だった) 城門塔を見上げる(200年前までは、上の角穴に
跳ね橋の鎖が通っていた)
侵入されないように天井から落ちる杭の列
 
城門塔扉のリングに残る魔女が残した噛み痕 井戸塔(Brunnenbau)深さ16mのつるべ井戸
(中央左)と城門塔(Torturm)高さ52m (中央右奥)
1607年にフリードリヒ4世が建てたフリードリヒ館
ステレオ写真
 
1546年にオットー・ハインリヒが建てたオットー・
ハインリヒ館(壁だけが残っている感じ)
テラスから見るネッカー河とハイデルブルク旧市街
ステレオ写真
騎士が窓から飛び降りて出来た足跡、と言われ
ているが、現実的には生乾きのコンクリート
みたいに足跡なんて残らないと思うのだが
ペルケオ
の像と鉋
とコンパス
大小様々な樽が残っている(これは小さいだが、
人の背丈を遥かに超える高さがある)
1751年製世界最大の木製の大樽(ドラム缶
100本あまり入る大きさ)  樽の周りをぐるりと
回って歩けるようになっている

 

☆ハイデルベルグ(Heidelberg)からローテンブルク(Rothenburg ob der Tauber)へ  バス移動距離:約181km、所要時間:2時間45分
  16:15 カール・テオドール橋を出発して東へネッカー河沿いの美しい道路を走ってローテンブルクへと向かう。途中で幾つも古城が見える。 19:00 ローテンブルク プリンツホテル着。

移動でお世話になったバスSCHARNAGEL 信号機は日本の雪国と同じく縦向き オペラにも歌われる美しいツヴィンゲンベルク城
この辺は牧草地が多かった 一面の小麦畑が続く
(食糧自給政策がしっかりと)
ハインスハイム(Heinsheim)のエーレンベルク
Burg Ehrenberg


ローテンブルク(Rothenburg ob der Tauber)

 ローテンブルクは人口1万人余りで、おとぎ話の中に出てくるような街である。ローテンブルクを中心に放射状に道路が広がっていることからも、都市としては歴史があることを物語っている。起源は10世紀頃に、街の名前にあるタウバー(Tauber)川を眼下に望めることの出来るこの地に、貴族のローテンブルク氏が築城したのが最初とされている。13世紀には城壁や塔が作られ、マルクス塔やレーダー・アーチがその当時の建造物である。17世紀の30年戦争や、第2次世界大戦で多くの建物が破壊された。戦後に中世の街並みが再建され現在の容になった。

 私達はバスで城内のホテルを目指して城壁内に入ろうとしたら、屋外の映画祭のような催し?の横断幕が行く手を阻んでいた。乗用車ならその横断幕の下をらくらくと通り抜けることが出来るのだろうけれど、大型バスは絞首台塔の門ぎりぎりなので、係りの人に横断幕を一時上げてもらって、やっとのことで城壁内に入れた。ホテルは街の東側城壁近くのプリンツホテル(Prinz)で、外観は窓辺に花が飾られメルヘンの世界に迷い込んだような感じを受ける。
 ホテルで食事(ポークカツ)を採って、急いで市庁舎酒場のからくり時計を見に行くことになった。21時に時報とともに時計の両側の窓が開き、左側にティリー将軍の人形が、そして右側に旧市長ヌッシュの人形が少し出てきて、将軍の右腕が少し上がると、右側の旧市長の左手のジョッキがちょこっと上がる。からくり時計と云うから、もっと期待したのだけれど、からくり人形の動きはちょこっと動くだけなので、目を凝らして見てないと分からないくらいである。からくり時計のストーリーは、30年戦争の1631年にカトリックのティリー将軍が、ローテンブルクに40,000人の軍隊の宿営を求めたが、ローテンブルクはこれを拒否し、籠城戦で戦おうとしたが、ティリー将軍は300人の兵を失ないながらもローテンブルクを陥落した。「街に火を放ち掠奪する」と脅したティリー将軍は、もし3.25リットルのワイン入りの大ジョッキを飲み干す参事が居れば、街に危害を加えないと約束した。そこに旧市長のヌッシュが進み出てワインを一気に飲み干して街を救ったことを、からくり時計にして功績を称えている。

 ローテンブルクの街の観光を終えて、ホテルに帰り着いたら22時を遥かに過ぎていたけれど、周りはまだ薄明るい。急いでシャワーを浴びようと思ってお湯を出してみるが、どんなに贔屓目に見ても湯というよりも水に近い。部屋はメルヘンチックで良いのだけれど、給湯設備はちょっと?非力だった。日本人の団体客が泊れば、バスタブに湯を一杯張ってジャブジャブお湯を使うので、遅い時間にシャワーを浴びる人はたまったものではない。水みたいな湯でシャワーを浴びていると、だんだん身体が慣れてきて水温が上がったような錯覚を覚える。

バスで絞首台塔を潜って城壁内へ  赤い横断幕
が邪魔になりバスが入れなかったので一時撤去
絞首台小路(何処も石畳で舗装)と白塔 マルクト広場の市役所向かいに在るカフェテラス
21時過ぎだがまだまだ明るい
城壁内に在る 宿泊先のホテル プリンツ(Prinz) 部屋の窓から見える城壁とレーダー塔 プリンツホテルのパウダールーム
 
木質でクラシックな感じの部屋 ドイツの食事は、最初はスープのようだ 黒ビール(3ユーロ)
プリンツホテルの夕食、
メインディッシュのポークカツ
(軟らかくて程よい塩味で美味しかった)
プリンツホテルの朝食(バイキング形式)
手前のパンはキュビスケルンブロートヒェン
(Kuibiskernbrotchen)、ドイツパンはどれも
美味しい
城壁には自由に登れる(上部の通路はひとが
一人やっと通れる幅しかない

 

 ローテンブルクの街は、どの家も窓辺に花を飾り、建物の配色も綺麗だし、道路は殆どが石畳になっていて、街全体の調和もとれているので素晴らしいの一言に尽きる。そして、単に見せるだけの建物ではなく、そこには街に相応しい生活も息づいている。
 下のマルクス塔とレーダーボーゲンの写真で家の最上階の外壁に扉が付いているのは、ここから荷物の出し入れをするためだそうです。画面右側の家は壁より道路側にはみ出した梁が見えるが、ここに滑車を架けてロープで荷物を吊り上げられるように工夫されている。日本だと袖看板が景観を壊しているが、ここローテンブルクでは吊り金具にも趣向を凝らした吊り看板が街の景色に花を添えている。
 先ずは誰しもが訪れるマルクト広場。市庁舎の鐘塔(白い建物)に登るには、マルクト広場に面した16世紀に建てられた新庁舎から入って行く。鐘楼に登るには2ユーロが要ると聞いたが、どんなところか兎に角料金所の手前まで行ってみようと思い、階段を登り始めた。どんどん階段を登り、旧庁舎へ移動して、更に狭くて急な梯子階段を身をよじりながら登り詰めたところに、突然2畳有るかないかくらいの狭い部屋におじさんが居てびっくり。ここで2ユーロを徴収される。そこから狭くて急勾配の梯子で屋上に出れば、ローテンブルクの街が一望出来る。柵はあるもののちょっと怖い感じ。この鐘塔に登る通路は、太ってる人や荷物を持ってる人は一苦労するくらい狭いです。鐘塔上からの眺めは一見の価値はある。
 中世の犯罪博物館が在って、色々な拷問具が展示してあり、当時の拷問風景を想像すると身の毛がよだつ思いをする。何時の時代も人間とは残酷なことを考える生物だと改めて思い知らされる。そこを抜けて暫く歩くといきなり視界が開けて、眼下に曲がりくねったタウバー川が見える。ブルク庭園の前でフルートを吹いてる男性がいたが、違和感なく風景に溶け込んでいた。ここは1356年の地震で城が壊れて庭だけが残った場所である。

 街を歩いていると、白っぽいソフトボールくらいの大きさのお菓子が多く見られる。シュネーバル(Shuneeball)と呼ばれるもので、帯状にした生地をお玉みないなのに丸めて入れて揚げ、砂糖をふりかけたりシナモンやチョコレートかけたりしたお菓子で、値段は1.3ユーロ〜、歯応えもあり食べ応えもある。もっと大きくてベレー帽くらいの菓子もあったけれど、食べなかったのでどんな味なのかは分からなかった。ソーセージの専門店や食器やミニチュア等興味の尽きない面白い店が一杯並んでいる。ここにコンビニが蛍光灯を明るくして営業していたら、皆ガックリくるであろう。魅力ある街並みとはいろんな建物が調和を乱さないで佇むことなのだろう。ローテンブルクは何時間居ても飽きない街で、もう一度行ってみたい街である。

レーダー門近く マルクス塔とレーダーボーゲン オシャレなペンションが目を楽しませてくれる
文字よりも図柄で表す看板が多い ヴァイザー塔(右)の近くの免税店DURER-HOUS ブルク門前からブルク公園側を振り返る
 
白い尖塔に上部まで登れる(2ユーロ)市庁舎
ステレオ写真
右写真の、からくり時計がある市議宴会場 2つの扉が開いていて、左にテイリー将軍、右に
ヌッシュ市長
ほんの少ししか動かないからくり時計
市庁舎から狭い階段を登った尖塔から見たマルクト広場とローテンブルクの街
ステレオ写真
 
市庁舎鐘塔の釣鐘 タウバー川に架かる橋 美しい看板と窓辺の花
シュネーバルは、この丸いお玉のようなので
帯状のものを丸くして、揚げてから砂糖をふり
かける    1.3ユーロ
上のソフトボール大の菓子は
シュネーバル(Shuneeball)、下の丸い菓子は
30cmくらいの大きさ
カスタムナイフや包丁、そしてスプーンや陶器の
ビアジョッキ
 
いろんなソーセージが並ぶ ミニチュアハウスや飾り皿 中世犯罪博物館前の拷問用道具(これで火
あぶりの刑か水責めの刑にでもするのだろうか)
中世犯罪博物館前のギロチン台 ブルク公園でフルート演奏曲のCDを販売してる
人  不思議と周りの風景に溶け込んでいた
ブルク公園からタウバー川を挟んで
ローテンブルク南地域を遠望


ロマンチック街道をローテンブルクからヴィース教会(Wieskirche)へ バス移動距離:約268km、所要時間:4時間1分 (休憩20分を含む)

 ドイツロマンチック街道は、このローテンブルクよりおよそ50km北のヴュルツブルクから一路南にフッセンまでの366kmにも及ぶ観光ルートである。ロマンチック街道とは旅心をくすぐる魅力的なネーミングをしたものだ。ルートの道筋にはロマンチック街道の標識が控えめに出ているのだが、何故か日本語の表記も併せてあるのは何故だろう。
 11:38昼食。ドイツと言えばソーセージとポテトとビールだと想像していたので、やっとドイツらしい食事になった。美味しいけれど、これが毎日続くとなればちょっと辛いかなあと思った。日本人は見方を変えれば雑食人種とも言えそうだ。マクドナルドは何処にでもあるものだ。 12:47 ローテンブルク出発。
道路沿いは牧草地や小麦畑やトウモロコシ畑が延々と続き、牧草地の中にポツンとヴィース教会が佇んでいた。 16:48ビース教会着。

ロマンチック街道の標識に日本語が入ってる 昼食で入ったレストラン やはりスープが最初に出てきた
メインディッシュはソーセージ。盛り上げた味噌
みたいに見えるのはポテト。やっぱりビール
デザートはアイスクリーム 牧草地に牛舎と牛(ここで暮らす牛は幸せ?)
 
何処にでも出現するマクドナルド 延々と続く牧草地に牛が悠々としている ちょっとしたところにも花壇があって心和む


ヴィース教会(Wieskirche)

 ヴィース教会は世界文化遺産にも登録されていて、草原にひっそりと佇むが内装は絢爛豪華で目を見張るものがある。ヴィース(wies)とは、ドイツ語で草原の意味なので、農家が教会に代わったというのは納得出来る。
 1730年にシュタインガーデンのプレモントレ修道院の聖金曜日の聖体行列用に、寄木作りの鞭打たれる救い主の木像を作ったが、あまりの悲惨な光景なので間もなく使われなくなり、屋根裏部屋で忘れ去られていた。この修道院で働いていた婦人マリア・ロリーさんがこの「鞭打たれる救い主」を農場に譲り受け、木像に心をこめて祈りを捧げ続けていたら、1738年6月14日に奇跡(木像が涙を流しているように見えた)が起きた。この噂が方々に広まり、多くの巡礼者が訪れるようになると、小さな農場の礼拝堂では対応出来なくなり、1754年に立派なヴィース教会が建設された。1985年から6年をかけて徹底的な調査と修復がなされ、建設当時の煌びやかさを現在に伝えている。

 駐車場からヴィース教会の建物へは、左側の道を行けば直ぐそこだが、右手の牧場を迂回する道を歩むことになった。馬が放牧されていたり、草原のなかのビース教会を見るにはこのちょっとした遠回りがちょうど良い。教会に入るには一人1ユーロを寄付すると聞いていたのだが、一歩中に入ると圧巻で何処で納付するのか分からないまま教会内を見学することになった。一巡してからやっと納付箱を見つけて1ユーロ寄付することが出来た。教会内ではフラッシュ撮影は禁止されていると聞いていたが、外国人?は知らぬ顔でフラッシュ撮影をしていた。教会内には関係者と思われる年配の女性が一人居られたが、フラッシュ撮影は止めて欲しいと顔には出ていたがとても手が回らないといった感じであった。

みやげ物屋さんが並ぶ駐車場 この売店に右写真の有料トイレがある 有料トイレ50セントを入れ、バーを押して入る
WCのところに左側「女」、右側「男」と日本語で
ヴィース教会の北側から
ステレオ写真
教会へはこの階段を上がって入る ヴィース教会の南側から
 
強制はないが拝観には一人1ユーロを入れる
内部はフラッシュ撮影禁止だが外国人はお構い
なしに閃光を浴びせていた
荘厳と言うに相応しい豪華な彫刻と装飾で、内部
に入った瞬間はおーっと独りでに声が出てしまう
ステレオ写真
上の絵はマリアとヨセフに囲まれたキリスト
真中が鞭で打たれて涙を流したとされる主の木像
同じような祭壇が反対側に対である ロココ様式の天井画
(平面の天井に描かれている)
教会内部の後ろを振り返る。真ん中の丸い所が
入り口。教会の人は年配の女性一人だけのようだ
 
教会出口から駐車場方向への道 左が教会入り口へ、右は教会の南側を見ながら
牧草地の中の迂回路。遠くにアルプスが見える
ヴィース教会の直ぐ横の牧草地では馬が近くに


☆ヴィース教会からフュッセン バス移動距離:約25km、所要時間:32分

 17:25 ヴィース教会からフュッセンへは、車の通行量も少ない快適な道路(17号)を30分程走れば到着する。フュッセンが近づく頃には、草原のど真ん中に聖コロマン教会(St.Coloman)が見えてきて、左手(東側)の山並にはノイシュバンシュタイン城が遠望され、気分も高揚してくるが明日のお楽しみになる。
17:57 夕食は小麦とチーズのケーゼシュペッゼレ(Kasespatzle)が出てきたが、美味しいとは言いきれなかった。 1855 フュッセン ホテルユーロパークインターナショナル着。

ロマンチック街道も終点に近くなってきた。それに
しても空き缶などが落ちてることもなく綺麗だ
車で走っていても気持ちが良い。遠くオーストリア
の山並みが見える
聖コロマン教会(St.Coloman)、
この右奥にノイシュバンシュタイン城が見えてくる
左手がノイシュバンシュタイン城で右手の小さい
のがホーエンシュヴァンガウ城。こうして見ると
意外と低い所に城が有ることに気付く
建物の壁に絵を描いた家が多く見られる 夕食で入ったレストラン
アルバイトのお姉さんはちょっと機嫌が悪かった
 
前菜のサラダ 小麦とチーズのケーゼシュペッゼレ(Kasespatzle)
私の味覚には合わなかった
デザートにプリン


☆フュッセン(Fussen)

 フュッセンはロマンチック街道の終点になり、ドイツ-オーストリア国境の直ぐ傍の街である。人口は約1万4千人くらいで、標高が800mを越えるちょっとした高原の街でもある。街にはレッヒ(Lech)川が南から北へ流れてフォルゲン湖(Forggensee)に流れ込んでいる。ここもローマ帝国の軍団基地から発展してきた街である。
 ホテルユーロパーク(Europark Hotel International)はレヒ川の畔に在り、窓辺には花のプランタン?が全室のベランダに飾られていて目を楽しませてくれる。ホテルに到着したのは19:00だったが、サマータイムで周りは未だまだ明るいので散歩に出かけた。地図を持たずにレヒ川沿いをテレジアン橋(Teresienbr.)まで歩いたが、そこからが何処へ行けばより良いのか分からず、結局元来た道を引き返してしまったが、後で地図を見たらもっと最適な散策コースが有ったので、初めて歩く土地では地図は必携だと思い知った。

ホテルユーロパークインターナショナル ホテルの部屋の窓から見える景色 ホテルユーロパークのパウダールーム
ホテルユーロパークでの朝も、バイキング形式
の朝食、パンはカイザーゼンメル(kaisersemmel)
ホテルの裏手はレヒ川で、対岸に織物工場?の
煙突、川の色は灰色がかった乳白色
レヒ川から見る聖シュテフィン教会
(Franziskanerkirche St. Stephan)
 

レヒ川からみたフュッセン市博物館(聖マング
修道院、Kloster St.Mang)
ステレオ写真

レヒ川に架かるテレジアン橋(Teresienbr.)から
市庁舎方面を見る
レヒ川に架かるテレジエン橋とその対岸の家並み


 

★第4日目 

フュッセンからホーエンシュヴァンガウ(Schloss Hohenschwangau)へ バス移動距離:約4km、所要時間:12分

7:46 フュッセンの街を外れてレヒ川を渡って、暫く走るとホーエンシュヴァンガウに入り、ノイシュバンシュタイン城入場チケットを購入してから、7:58に駐車場に。
ホーエンシュヴァンガウは12世紀に建てられたシュヴァンシュタイン城を、マクシミリアンU世が夏の狩場の城として改築した城である。ここで幼年期を過ごした息子のルートビヒU世が、後にノイシュバンシュタイン城を建設することになる。

マクシミリアンU世が、夏の城として再建した
ホーエンシュヴァンガウ城
ホーエンシュヴァンガウ城から見下ろす
ステレオ写真
駐車場の一番奥に広がるアルプ湖(Alpsee)
馬車と車が行き交うホーエンシュヴァンガウの街路 ノイシュバンシュタイン城近くの散歩道から
見下すホーエンシュヴァンガウ城と街
左奥にアルプ湖も見える
マイバウム(5月の木、メイポール)民族衣装を
着飾って、5月(春)を迎える祭りのシンボルに。
上の2つはホーエンシュヴァンガウ城と
ノイシュバンシュタイン城


☆ノイシュバンシュタイン城(Schloss Neuschwanstein)

 ノイシュバンシュタイン城は比較的新しい城の部類に入り、140年くらい前(1869年)にルートヴィヒ2世(LudwigU1845〜1886)によって建設が始まり1886まで建設工事は続いたが、完成は未だもってしていないのが実情である。ルートヴィヒ2世はワーグナーの熱烈な支援者であり、またベルサイユ宮殿等多くの宮殿に憧れていた。城本来の機能よりもルートヴィヒ2世の理想とする趣味の居城と言ったほうが当たっている。ルートヴィヒ2世はバイエルン第4代国王(在位1864〜1886)で、美男と言われていた。父はマクシミリアン2世で、プロイセン王女マリーが母でなる。ルートヴィヒ2世は中世騎士伝説やゲルマン神話(キリスト以前)をこよなく愛していたため、その影響がノイシュバンシュタイン城に表現されている。ノイシュバンシュタイン城を築城するまでには、ベルサイユ宮殿を模した(鏡の回廊もある)ヘレンキームゼー(Herrenchiemsee 1886年まで)城、ベルサイユのトリアノン宮殿を手本にしたリンダーホーフ(Linderhof 1878年完成)城を手掛けている。
 ルートヴィヒ2世は1866年の普仏墺戦争に不本意ながらオーストリア勢として参戦して大敗し、プロイセンに多額の賠償金を払う羽目になる。相次ぐ築城でバイエルンの財政は困窮を極め、総理大臣ルッツ等によりルーツヴィヒ2世は精神病者に仕立てられて1886年6月12日に逮捕されてしまう。しかし翌日にシュタルンベルク湖(Lake Starnberg)畔で水死体で発見された。この死因については謎が多いと言われている。

 ノイシュバンシュタイン城へは馬車で登る(約25分)か、シャトルバスで登る(約7分)かの2通りがあり、歩いて登ることも出来る。シャトルバスの終点はひっそりとした木立の中で、そこから右斜めにちょっと登ればノイシュバンシュタイン城が眺められるマリエン橋(Marienbrucke)に、左斜めに下って行けばノイシュバンシュタイン城へ辿り着く。先ずは7分程歩いてマリエン橋に行くと、既に多くの人で橋の上は一杯になっていた。ノイシュバンシュタイン城の絶景を見るには橋の中ほどまで歩いて行かなくてはならないが、50mの高さがあり橋は揺れて、床は木の板で折れそうなくらいに凹むのでちょっとしたスリルがあります。沢山の人波で橋が落ちたらどうしようかと心配になる。高いところが苦手な人は橋の手前で躊躇して引き返す人もある。
元のバス終点まで引き返し、左手にホーエンシュヴァンガウを眼下に眺めながら、徐々に大きくなるノイシュバンシュタイン城が気分を盛り上げてくれる。
 チケットには整理番号があり、その指定された時間にならないと入場出来ない。電光掲示板に自分達の番号が出たら自動改札を通って入るのだが、この自動改札機の調子が悪く、なかなか通過出来なかった。
城内に入ると案内(監視役?)の女性が一人付いて一緒に行動する。見どころでは日本語の説明が流れる。城内は一切撮影禁止で、唯一室内から外の風景を撮るのだけが許されている。
城内の見学は、ドーム型の大空間に豪華なシャンデリアがある玉座の間(キリストやマリアの壁画がある)、寝室(ここにもキリスト復活が)、居間(ワーグナーに関する壁画がある)、人工的な洞窟、ワーグナーの演奏は実現しなかった歌人の間(壁画とシャンデリアの大広間)、螺旋階段をぐるぐる廻り下りて、オーブンなどの近代的な設備があるキッチン等を順に廻った。
写真撮影厳禁になっているため、ベルサイユ宮殿等の印象が強くて、後で思い出してみるがどんな部屋だったか情景がどうしても目に浮かばないのは何故だろうか。思うに、旅の思い出は実際に見た印象よりも、自分で撮影した写真を後日に何度か見ることの影響力が大きいのだと思います。

ホーエンシュヴァンガウからはシャトルバスか
馬車を利用するが、少数派だが歩いても行ける
(約25分)
シャトルバスで所要時間7分の終点。手前の
道がマリエン橋(Marienbrucke)へ、
右に下ればノイシュバンシュタイン城へ
マリエン橋からのノイシュバンシュタイン城(残念
ながら外壁工事のシートで覆われているが
それなりに美観を保っている)
ステレオ写真
マリエン橋真下の下流側の滝、落差45mの滝、
橋の上から滝壺までの高さは91m
ノイシュバンシュタイン城を眺める絶景ポイント、
ペラート峡谷にかかるマリエン橋。路板は踏み
抜いてしまいそうな薄さで撓んで少し揺れる
マリエン橋真下の上流側の滝、こちらは46mの
高さになるのでしょうか。どちらも高くて橋の真ん
中まで行くにはちょっと勇気が要るかも
 
歩くにつれて程良い感じで城が
見えてくる
左眼下に雄大なシュバウガウの街
を見ながらの散歩道
城の西側から城に辿り着いたところ
出口はこの辺だった
城門入ったところからマリエン橋と滝
ステレオ写真
城の北側で、ここから下山路が始まっている 東側の城門でチケットを見せて入場 赤い電光掲示番号が城内見学可能な整理番号
ステレオ写真
 
入場券に記載されている整理番号の時間が来ない
と通過出来ないゲート(故障が多いようです)
城の入口、ここから専属ガイドの案内で城内を
見て回る
城内から中庭と入り口付近を見下ろす
ノイシュバンシュタイン城の入城パンフレットより
(秀麗なルートヴィヒ2世)
ノイシュバンシュタイン城の入城パンフレットより
(玉座の間)
ノイシュバンシュタイン城の入城パンフレットより
(歌人の間)
 
120年前に、18歳のルートヴィヒ2世が見たであろう城内からの景色
ステレオ写真
帰りは馬車を利用する人もあるが、殆どの人は
歩いて麓まで戻る。馬車と歩行者は同じくらいの
速さで所要時間17分
ホーエンシュヴァンガウの街と
            ノイシュバンシュタイン城
城の西側を遠望(ここから見る城も美しい) 城内の出口付近の売店、混雑していて近づけない

 

☆フュッセンからインターラーケンへ バス移動距離:約396km、所要時間:9時間17分(食事1:06分と休憩34分を含む)

 午前中にノイシュバンシュタインの訪問を終え、フュッセンから西に5km程移動して、ホプフェン湖畔のレストラン(アルペンブリック Alpen blick)で食事をとった。魚料理であったが、番外編でカレーライスが希望者に提供された。日本のカレーライスとは味が異なるが結構美味しかった。
12:21 インターラーケンに向かって出発。途中ウォーレン湖等多くの氷河湖を眺めながらのドライブに。湖面の蒼色がきれいだった。チューリッヒ湖を過ぎた辺りから道路が狭くワインディングロードになり、横に揺られて気分が悪くなる人もありそうだ。ザルナー(Sarner)湖から峠を下るとインターラーケンへのブリエンツ(Brienzer)湖が徐々に近づいてくる。18:15 インターラーケンのヘーエ通りメトロポール前に到着。

フュッセンから約5kmの、
ホテル アルペンブリック(Alpen blick)での昼食
アルペンブリックの前がホプフェン湖(Hopfensee) ここの奥で昼食を摂った
魚のムニエル?料理です メニュー以外に、希望者にはカレーが出され、
これが結構日本人の口に合って美味しかった
オシャレなゼリー
 
ガソリンスタンドで休憩していたら急な通り雨が
乗用車がトレーラーを引いているのをよく見る
ウォーレン湖手前の(Fulmus)氷河で削れた峡谷 氷河湖のウォーレン湖(Walensee)
ウォーレン湖の水の色は蒼い 緑が美しい牧草地が延々と続く インターラーケン手前の峠にて信号待ち


インターラーケン(Interlaken)

 インターラーケンは名前が示すとおり、トゥーン(Thun)湖とプリエンツ(Brienzer)湖に挟まれた小さな観光都市である。人口は5千人あまり。この街はユングフラウへ向う登山(観光)客?のベース基地といった感じで、観光が主な産業である。高級なホテル・ユングフラウの近くにはカジノ・クアザール(Casino Kursaal Interlaken )が在って、創業は1859年というから歴史は古い。
インターラーケンは流石に国際観光都市で、街行く人の肌色はいろいろで刺青を入れた人も闊歩していて、ちょっと怖い感じがした。
インターラーケンに着いた日は晴れていて、上空をパラグライダーが舞っていた。山の上から二人乗りのパラグライダーがホテル向かいのヘーエマッテ公園を目指して次から次へと舞い降りていた。
 19:50 夕食はミートフォンデュで、フォークに突き刺した色々なの肉を天ぷら鍋の油の中に入れ、唐揚げ状態にしたものにタレを付けて食べるものである。鍋に入ってる油の温度調節が難しく、火を付けると油の温度が上がり過ぎるし、火を消せば温度が下がって肉に火が通らないので、中々美味しいのが食べられなかった。店長?さんのパフォーマンスはハイテンションで凄いのですが、火加減までは気が廻らなかったようだ。ミートフォンデュの前にチーズフォンデュも出てきたが、チーズが辛めなのとパンがパサついているので、美味しいとはいえなかった。20:56 店を後に。

メトロポールの前からヘーエ通りをヴェスト駅方面 5つ星ホテル ヴィクトリア・ユングフラウ ヘーエ通り(Hoheweg)、左側がホテルで
右側は公園
中央奥がヘーエ通り
街の中のランドアバウト(ロータリー状)
右に行けばグリンデルワルドに至る
ここでパラグライディング(skywing)体験を受付て
いる 160スイスフランから。2人乗りなので、
誰でも爽快な体験できる
反対側の山上からパラグライダーでヘーエマッテ
公園に降りる体験観光が大流行で、次から次へ
と舞い降りてくる
 
街の中を普通に馬車が走ってました 宿泊先のホテルクレブス(KREBS) ホテルの喫茶(この奥がレストラン)
おまけのチーズフォンデュー、
 ちょっと塩味が強い感じ
ミートフォンデュー この鍋に油が入っていて、
ここに串に刺した肉を入れてから揚げ状にして
タレをつける
ミートフォンデュー用の肉(これで2人分)
   
スタッフは牛柄のパンツで派手なパフォーマンスが
繰り広げられ、食事どころではない
スイスホルン、素人のお客さんが試しに吹いて
みたが音は出なかった。トランペットや法螺貝と
同じでリードが
無いので難しいようです。
揚がった肉に色んなタレを付けて食べる
パウダールーム(ドライヤーのところに100Vが) ホテルの窓からの景色
 
左は200Vコンセント(これで3口)、日本では
無い配置(120°)、右はインターネット
階段の踊り場のディスプレイ ホテルクレブスの朝食(バイキング形式)
7:00 今朝のパンはクロワッサン


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