フランダースの犬ルーベンス   アントワープ

      
              ノートルダム大寺院                             ネロとパトラッシュ               

         
「キリスト降架」                          「キリスト昇架」 

 このノートルダム大寺院は、あの「フランダースの犬」の主人公ネロとパトラッシュというフランダース犬が最期を遂げたところである。クリスマスの極寒の日に、飢えた彼らは最期にルーベンスの「キリスト降架」と「キリスト昇架」の絵を見て死んだのだ。
 さて、この「フランダースの犬」だが、この作品はイギリスの上流作家ウィーダが、1871年にアントワープを旅行したあと、書き上げた。それがアメリカで1924年に、日本では1925年に映画化され有名になっていた。ところが、不思議なことに当のアントワープでは何年か前まではそのような物語があるとはまったく知られていなかった。多くの日本人観光客がこの大聖堂を訪れ、ルーベンスの絵やネロとパトラッシュのことを観光局にしつこく訊ねるので、市が調査し、観光資源としたそうだ。この市の観光局の窓口となったのが、ヤン・コルテールさんである。彼は、この作品について調べようと、日本人観光客が送ってくれた日本語の1冊の本を読もうと日本語の勉強までした。やがて、英語版の関連本を見つけ、この作品の舞台が、アントワープから5キロ離れた村の「ボーボーゲン」であることを発見した。そして彼は、そこに銅像を立てることに奔走した。コルテールさんの地道な努力が実り、1985年にやっと銅像が立てられた。この銅像の除幕式には、日本大使、日本人学校の小学生も招待された。
 さて、この銅像だが、今はアントワープに移すことが、コルテールさんの仕事となっている。せっかく銅像が建っても、このボーボーゲンまで往復1時間をかけて行く観光客はほとんどいない。コルテールさんは日本に行き、渋谷の「忠犬ハチ公」が多くの観光客に囲まれているのを見た。ネロたちの銅像もそうあるべきだと考えるようになった。
 ところで、この「フランダースの犬」が生まれた背景には、アントワープがルーベンスの町だということが大きい。ネロは貧しくても絵にかけては天才的な才能を秘めていた。苦しい時に励ましてくれたのは、夢に出てくるルーベンスであった。そのルーベンスの絵はノートルダム大寺院にあって、当時は料金を払わなければ、見ることができなかった。ルーベンスの町―アントワープまでミルクを売りに来ていたネロだがそのあこがれのルーベンスの絵を見ることは悲願であったに違いない。その悲願が死と控えにして達成された。
 貧しくても誠実に生きてきたネロ。そのネロを支えつづけたのが、この地方でもっとも忍耐強い―労働犬であるフランダース犬「パトラッシュ」だった。フランダース犬とルーベンスというこの土地の背景がなければ、この作品は生まれなかった。  

              
ルーベンスの家                                     ノートルダム大寺院内部