2003年2月23日
21世紀になって、早くも2年がすぎましたが、人間と自然の状況は、悪化するばかり
のような気がします。平和への道を閉ざそうとする敵対と憎悪の連鎖、とどまるところを
知らない地球温暖化と環境破壊、弱者切り捨てと人権や人間の尊厳無視の施策など、
風の回廊のコンセプトとは正反対の状況が、拡大してきているように感じます。
しかし、一方では、たくさんの人々による平和への願いや行動、環境問題への真摯で
粘り強い取り組み、弱者に視点を置いた様々な支援策や取り組みなど、目をこらせば、
希望へと向かう道が、少しずつではあっても作られていっています。
敵対と憎悪の連鎖を維持しようとする人々と人間的なつながりと友好の連鎖を作りだそ
うとする人々。過去もずっとそうであったように、この二つの人々の群れの確執は永遠に
続きそうな感じもします。それが、人間の本性なのかもしれません。ただ、敵対と憎悪の
温床となってきた「他者への偏見・誤認識」や「一元的な価値観」は、急速に崩れつつある
ように思います。マスメディアやインターネット等の普及によって、人々は多元的に世界を
認識し、何が真実かをより正しく知ることができるようになったと思います。ある特定の人間
や・国・団体・組織等が、他者への偏見や一元的な価値観で他の人々を支配できる時代
が確実に去ったことは、今回のアメリカのイラク攻撃をめぐる状況を見ても明らかです。
構造主義的・相対主義的な世界観がやっと、世界中の人々の日常生活や認識の隅々に
まで広がってきたという感じが少しします。
悪化する状況の中でも、この風の回廊のコンセプトである「すべての生命の共生とグロー
バルコミュニケーション」の考えは、世界中に徐々に広がっているのかもしれません。
そういう意味で、このホームページの存在意義はまだまだあるように思いますし、もう少し
このページのコンセプトを広めていく努力をしていかなければならないようにも思います。
このページは取るに足らないものにせよ、ゆっくりと、少しずつ、そうした営みを続けていくこ
とが、次の時代を作っていく、希望の一粒になると思って、また、少しずつ、このページの更新
と新たな創造をしていこうかと思っています。
2001年1月3日
21世紀まであと1年と、1年前の1月6日に書いてから、1年間、忙しさにかまけて
何もこのダイアリーに書かないまま21世紀になってしまいました。
しかし、1年間で社会の状況は何も変わっていないと思います。というか、21世紀を
迎えて、改めて、このホームページのコンセプトの正しさを再確認したといったほうがい
いかなと思います。
1月1日のNHK総合テレビ「21世紀・旅立ちの日」を見、1月1日の朝日新聞の社説
を読んで、ますますその感を強くしました。環境・平和・人権・教育という、このホームペ
ージのテーマ・内容と共通する「共生」「全球化(グローバリゼーション)」「アサーション」
などのコンセプトがそこでは語られていました。
さらに、20世紀最後の12月31日付け朝日新聞夕刊には、村上龍さんの「破壊から脱
出へ」と題する小論が載っていましたが、その内容も、私がこのホームページの「22世
紀教育フォーラム」等で書いてきたことと多くが重なります。古いシステムや価値観は崩
壊し、新たなシステムと価値観が求められています。
解答は個々人が自立しながら模索していくという視点も村上さんと私の考えは同じです。
村上さんは、既存システムの自然崩壊の中で、旧来の文脈からの個人的脱出を志向す
ると言っています。しかし、脱出が個人的にとどまるわけではないことは村上さんの、他
者への積極的な発信(小説や様々なメディア、とりわけJMMなどインターネットでの発信
など)によって明らかです。私たちは、すでに個人的意志にかかわらず運命の共同体の
現実を共に生きざるを得ない状況に置かれているのです。
その意味で、崩壊は一つの始まりと言ってもいいでしょう。このホームページは、新たな
再生を志向しています。「ガイア共生」も「対話による平和の創造」も「アサーション的関係
性の構築」も「新たな学びの場の多様な展開」も、きわめて創造的で再生的なコンセプトを
提示しているのではないかと自負しています。
これらのキーワード的なことばとその内容については、ぜひ個々のページをみていただきた
いと思います。
21世紀、ゆっくりとしたペースを堅持しながら、これまでの視点を引き継いで、このページ
でさらに新たな再生の内容を模索していきたいと、ぼんやりと考えていた正月3日間でした。
2000年1月6日
21世紀まであと1年。いよいよ世紀末だあ。といっても何も変わらない。コンピュー
ターも何とか動いてるし、、、。まあいいか。このホームページは殆ど停止してるけど。
まあ、こっちも忙しいから仕方がないか。ということで、超マイペースですが、たまに見
てくれている人もいるようなので、今年は、少しずつ更新していこうと思います。
新たなプランも考えてはいるのですが、、何しろ時間がなくて。ボチボチと。
まあ、いいわけはおいといて、ちょっとだけ世相雑感。
昨年からの原発関連の事故やら医療ミスやら警官や教師の不祥事やら子どもなどの
弱者をねらった殺人・傷害事件やら、街頭無差別殺人やらを見るにつけ、つくづくと、
人間や社会の「基礎・基本」が崩壊してきていることを実感します。
基本的な操作や作業、処置、基本的な仕事への姿勢やモラル、基本的な人への思い
やりと遵法意識。いわば当たり前のことが当たり前にできていないことが、これらの事件
やできごとのすべてだと思います。「当たり前のことの崩壊」 これは実に恐ろしいことで
す。電車が普通に動いていること。電気会社のモーターが普通に回っていること。ゴミ処
理車が普通にやってくること。医者が普通に適切に薬を処方すること。道路を普通に殺さ
れたりすることなく歩けること。学校の時間帯に子どもが普通に遊んだり勉強できること。
こうしたことが危うくなった時、社会はどうなっていくのでしょう。こうしたことが危うくなかっ
たのは、多くの人が普通にきちんと責任をもって仕事をし、最低限の法を守ってきたから
だという当たり前のことが、この数年、当たり前でなくなってきているように思います。
とりわけ、自分の勝手な感情や考えで、人の命をわけもなく奪ったり、社会を混乱に陥れ
たりする風潮は、オウムとカレー事件にはじまって、航空マニアのハイジャックから池袋
無差別殺人、京都の校庭での小学生殺害事件まで、ちょっとほんとに、もう、「ええかげ
にせえよ!」といいたくなるようなハチャメチャぶり。これぞ基礎・基本の崩壊の最たるも
のとなげいていても何もはじまりまらないけど、ほんとに腹がたつ。
まじめに働いても報われない社会になってしまったことが一番の元凶だと思いますが、
でも、どんな社会でも、人としての最低限のことは責任もって果たしていかないと、生まれ
てきた甲斐もない。
この狭い地球の上でみんなで共に生きてるという感覚が一番の基礎基本なんだ。自分
だけで生きてるわけじゃない。人間だけで生きてるわけでもない。そんな当たり前のこと
がすべての人の心にきちんと根付いていれば、わけもなく子どもを殺したりできるはずが
ない。ということで、20世紀最後の年のスローガンは、「当たり前のことを当たり前に」
「基礎基本の徹底」ということに決まりだと思ったりしていたお正月3が日でした。
5月16日(日)
ほとんど、季刊雑誌の記事のようになってしまいましたが、、、(^_^;)
最近、やっとというか、犯罪被害者の会や犯罪被害者の人たちの発言が増えてきま
した。つらい体験を越えて公的な活動をしたり、発言をすることはとてもしんどく、大変
なことだと思います。そのことを十分考えた上で、私たちは、被害者の人たちと連帯し
その声に真摯に耳を傾け、できる限りの支援をしていく必要があると思います。
特に、学校教育や社会教育、更正施設、マスコミなどで、被害者の人たちの声を取り
上げていくことは、とても大切なことだと思います。
事件がおこると、それをセンセーショナルに取り上げるマスコミによって、被害者の心
情ぬきの情報が全国にばらまかれ、すぐに模倣犯が出るという、精神の荒廃状況を
少しでも変えていくためには、被害の痛みを少しでも多く訴え、理解を求めていくことが
大切です。犯罪は人の痛みや人の生をわがこととして捉えられない、未熟で利己的な
精神状況がその大きな土壌になっていると思います。自分が被害を受けたらどういう状
況になるのかという、普通の理解力さえあれば、発生しなかった犯罪は数多くあると思
います。犯罪被害者の人たちの気持ちと理不尽さへの訴えは、必ず、犯罪を防ぐ大き
な抑止力になっていくと思います。
また、亡くなった人たちのためにも、そして、すべての人がこれから幸せに生きていくた
めにも、あきらめと泣き寝入りの気持ちにならず、なぜそうなったのかという、真相の究明
に被害者の人たちが立ち上がることも大切です。つらく、しんどい気持ちを抑えて、裁判
を傍聴している人たちのことを、裁判そのものよりも、私たちは強く心に焼き付けていく必
要があると思います。
2月20日(土)
ダイアリーといいながら、1か月以上たってしまって、次の文を書いています。
ダイアリー的なのは、忙しい仕事を持つ身にはちょっと無理なような気がしますが、
まあ、月に1回ぐらいは書くようにしようと思います。
さて、先日、乙武洋匡さんの「五体不満足」という本を読みました。障害を持つ人の
本はこれまでにもいくつか読みましたが、乙武さんの本は、これまでのどの本よりも
明るくて、勇気づけられる本でした。ジーンとくるところも多いですが、それより、笑っ
たり、ホンワカしてしまうところの方が多かった印象があります。文章もとてもやさしく
て明るいトーンで、とても読みやすいです。
乙武さん個人のおもしろさも抜群だけど、彼の両親が傑作ですね。苦労も人一倍の
がんばりもすごくあったと思うけど、それを感じさせないあったかくて大きな人間性には
、もう参ったという感じです。特にお母さんには誰もかなわないですね。
乙武さんが生まれて1か月のあいだ母子の面会ができなかったのに平然としていた
のもかなりの「大物」だが、彼をはじめてみた時の第一声が「かわいい」というステキ
な感性の持ち主だったことが、彼も言っているように、その後の彼の人生を決定づけ
たと言っても過言ではない。
おそらく、コロンとしてぽちゃっとして、ほんとにかわいかったのだと思う。何か、とても
自然体でステキな感じがする。彼を何の不思議もなく普通の学校に行かせたり、いっ
たん学校にまかせたらどんと構えて口だししなかったり、大物ぶりは限りがない。
たとえば、乙武さんが予備校の時、ヤクザっぽいおじさんに話しかけられ、情のある接し
方をされた時のこと。家に帰ってそのことを話すと、その母いわく「あなたそれはあたり
前よ」「えっ、どうして?」「だって、ああいう方たちは、ツメるといっても小指一本程度で
しょう。あなたなんか、全身ツメちゃってるんだもん。それは、敬意を表されるわよ」
彼のことをかわいいと言う母と彼との会話なので、安心してつい笑ってしまうけど、障害
をジョークのネタにするなど、たとえ母といえど、今までだったらとても考えられない。だ
けど、このお母さんはジョークを言っているわけではない。ごく自然に言ってるだけなの
である。
このお母さんのあっけらかんさが、この本のすべてを物語っているといってもいい。
このお母さんの圧巻は、乙武さんが中1の時、友だちと青森に旅行に行きたいと言い
だした時のこと。「友だちどうしでなんかあぶないからダメ」「私たちも付いていかなくて
大丈夫?」そう言って、反対されることを予想していた乙武さんは、母の答えに面食らう。
「あら、そうなの?何日から何日まで家を空けるのか、早めに教えてちょうだいね」
「へ・・・?いいけど、どうして?」「それがわかったら、その間に、私たち(夫婦)も旅行
に行けるじゃない」 そして、8月。青森へ向かう乙武くんたちを見送った直後、乙武夫
婦は香港へと旅立っていったのだった。おおらかというか、大物というか。ここまでくると
、もう目が点です、ハイ。他の子どもでも中1の子が友だちだけで青森へというと、「ちょ
っと・・」という感じになると思うが、乙武くんは手足がないのである。うーん、すごい。
まあ、ともあれ、まだ読んでない人はぜひ読んでみてくださいね。とっても元気になるこ
と受け合いだから。乙武さんは、まだ大学生だというのに、ほんとに文が上手。とてもお
もしろく、あっというまに読めてしまいます。ステキな本をありがとうと言いたい気分にな
ってしまうこと間違いなしですよ。
1月4日(月)
あらたな年がはじまりました。21世紀まで、いよいよ2年を切るところまできました。
まさに世紀末です。どんな世紀末にするのかは、地球に住む私たち一人ひとりの
行動にかかっていると思います。
1月1日づけの朝日新聞の社説に「ハーグ平和会議」のことが書かれていました。
100年前に開かれたこの会議は、永続的な平和づくりを議題に多国間協議に取り
組んだ史上はじめての試みでした。しかし、その2年後からはじまる20世紀は、こ
の会議の精神に反する史上最大の「戦争と殺戮の世紀」となってしまいました。
20世紀は、戦争と殺戮だけでなく、環境問題に象徴されるような、それまでのどの
時代にもなかった全人類絶滅という事態が現実のものとなった世紀でもありました。
一方で20世紀は、社会主義や民主主義など、弱者や民衆の権利保障の理念が拡
大した世紀でもありました。まだまだ、弱者や民衆の権利は十分に保障されている
とは言えませんし、オームに象徴されるような、命の軽視や大量殺戮の危険性もい
たるところにあるのが現状ですが、権利保障の考えは前世紀に比べて、はるかに多
くの人々の支持を得てきているのも事実です。
その意味で、朝日の社説にあった「人間の安全保障」という考えが、21世紀の支配
的な考えとなることは間違いないように思いますが、私は、それに加えて「すべての
生命の安全保障」という考えが広がらない限り、人間の安全保障も心もとないので
はないかと思います。人間だけという傲慢で狭い考えから脱却し、地球上の生命す
べてと共に生きるという、本来人間がもっていた謙虚で寛容な精神に立ち返る必要
があると思います。
「強大さ」と「他者への優越性」が支配した世紀の扉を閉め、「やわらかさ」と「他者へ
のやさしさ」に満ちた世紀への扉を開くのは、世紀末を生きる我々以外にはありませ
ん。他者とはもちろん、自分以外のすべての存在です。自分以外のすべての存在に
やさしくあるためにはどうすればいいのか、共に考え行動していける2年間でありたい
なあと思います。