大和歴代天皇陵墓


   神武天皇     神倭伊波禮毘古命   カムヤマトイワレビコノミコト 御   母 :妃玉依命  
              在位前660年 1月 1日〜前585年 3月11日 137歳

                    畝傍山東北陵 ウネビヤマノウシトラノスミノミササギ 陵   形 :円丘 
          奈良県橿原市大久保町


 日本で最も豪華に整備され祭られている陵

  日本書紀では神倭伊波禮毘古命は、ここ畝傍の
 白檮原で即位して、倭の国の最初の大王として
 後に始馭天下之天皇(ハツクニシラススメラミコト)と
 呼ばれたと書かれています。
  
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 しかし、古事記にはその様な事は何も書かれて
 いません。










 日本の国に仏教が伝えられ、広がり始めたのは
 推古天皇の時代で、それ以前の大和の人達は
 大和朝廷の先祖である神々の存在を信じていました。

 
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 長い長い参道が続きます。





  玉砂利ではありませんが、砂利を踏む音を聞きながら
 長い参道を歩いていると様々な事を考えます。

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 長い参道の奥に漸く陵が見えて来ます。









  神倭伊波禮毘古命が架空の人物であったとの説に、
 私は賛成出来ません。

  確かに彼は伝説上の人物かも知れませんが、
 古事記に書かれている様に、やはり実在の人物で
 あったと私は信じたい。  

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  魏志倭人伝には卑弥呼の役人がその支配国に鄙守として
 派遣されていたと記されています。

  伊波禮毘古命がその鄙守であったか、又は他の大国の
 鄙守であったとすれば、各地を転々と転任していたと
 解釈出来ます。

  彼が大和の国に入れなかったのは、大和に政変が
 あったか、彼自身大和では他国者であったから
 でしょう。
 
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  兎に角、大和の国磐余の地に落ち着いて初めて
 神倭伊波禮毘古命と呼ばれたので、それまでは
 若御毛沼又は豊御毛沼命と呼ばれていたのでは
 ないでしょうか。  

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  以上は砂利の音を聞きながら、思い付いた事
 ですが、古代のロマンは古代の古里で夢想する
 事が楽しい事です。







 鳥居に扉が付いているのも珍しい光景です。
 大和時代の人達は開放的で、柵や扉など必要無かった
 又は知らなかったのではないかと思います。 
  

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 扉の中は覗いて見たいものです。
 しかし、鳥居の他は何も無い、    (拡大写真) 
  それが倭の文化と
 私は思います。
                             
      
   




    

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 陵墓の近くには大概神社があります。

 神社は陵墓の人を祀ったものではないでしょうか。
 それとも後から造られたものでしょうか。

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  ここでも、砂利の敷かれた長い参道が続きます。

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 参道の終わりに、大きな門が見えます。

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 それは鳥居ではなく、唐風のお寺の山門と見えます。

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 神仏混交が別に悪いとも思いませんが

 ここは日本人の心の古里、
 仏教文化伝来以前の倭文化の発祥の地。

 次に立て替える時には、純倭式、伊勢神宮の様に
 掘っ建て柱とまでは行かなくとも、
 何とか考えて欲しいと思います。

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 これが日本の神社であると言われれば
 それはそれなりに美しいと思う、

 しかし、それが日清日露戦争の戦利品
 かも知れないが、重厚に過ぎて何か空しい。

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 畝傍山の橿原に 宮柱底磐の根に太立て

  高天原に搏風峻峙りて 始馭天下之天皇を

   號けたてまつりて神日本磐余彦火火出見天皇と曰す

 と言うのであれば、ここにこそ

      底つ岩根に宮柱ふとしり、氷椽たかしりて
                
     純大和式の正殿を構えるべく思う  

 
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 正殿は奥の奥に隠され
 一般庶民には全く縁のない存在になっています。

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 神秘的かも知れませんが
 「良賈は奥に蔵す」とは中国式の考え方

 大和時代の人達はおおらかで
 素直ではなかったかと思います。







 列柱はエンタシス
 ギリシャ風神殿ではありませんか! 

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 地震国日本では
 大和式の建物が最適です。
 古事記の中では地震の被害に関しての
 記述は全くありません。


  





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                  大久保 晃