大和歴代天皇陵墓 孝霊天皇皇女倭迹迹日百襲姫命=卑弥呼? 箸墓古墳 = 大市墓 俗に卑弥呼の墓と呼ばれています。(拡大写真) (拡大写真) 日本で最も古い前方後円墳と言われていますが、巨大な古墳である にしては、堀の部分が1/3〜1/4程度も残っていません。 それは天皇の陵ではない為に、あまり保護されなかったし、 付近の住民もそれ程尊重しなかった為なのか、 それにしても当時の巨大さが偲ばれます。 魏志倭人伝に塚径100余歩(一歩1.5m)と記されています。 記録を見て、後から比定されたのか、最初からの言い伝えで あるのかは不明。
満水時には浅瀬の部分に草が生えている様に見えますが、 水が引けば明らかに人為的に作られた小島です。 その小島は陵墓が築造された時に築造されたのか、後の時代、 屡々陵墓のお堀は農業用ため池として、古くは応神天皇の頃、 築堤されていますが、特に徳川時代の陵墓改修の折りに 追加されたものかも知れません。 (拡大写真) しかし、京都の庭園で紹介する様に、江戸時代の庭園には 主に石組みが小島にも採用されていますので、後から追加 されたとしても、江戸時代以前の古いものと思われます。 背後の山は彼女の仕えていた三輪山です。 (拡大写真) 蘇我馬子が自分の庭園の池の中に島を築いたので島の大臣と 呼ばれたと言われていますが、それまで庭園の池に島は 無かったのか、それとも庭園や庭はそれ程大きくは なかったのか。 天武天皇の池の島も万葉集の挽歌にも読まれています。 (拡大写真) (拡大写真) 垂仁天皇と崇神天皇の陵墓にある小島
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冬には山茶花が咲き乱れていました。 (拡大写真)
古代上つ道を行く 推古天皇時代にこの道が築造されたとすれば、その頃既に この陵墓の堀は埋められていたと考えられる。 壬申の乱の古戦場もこの辺りであったかも知れない。 (拡大写真) (拡大写真) (拡大写真) 遠くに畝傍と耳成山が見えます。
三輪山と三輪神社の大鳥居 (拡大写真) (拡大写真) (拡大写真) 三輪山の麓には歌垣で知られる海榴市(つばいち)もあり、 若者達の恋歌が聞こえてくる様な気分です。
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(拡大写真) オークケミカルエンジニアリング 大久保 晃