大和歴代天皇陵墓

 
 11代 垂仁天皇
          スイニン テンノウ             イクメイリヒコ イサチノミコト 
                   伊久米伊理毘古伊佐知命

                   スガワラノ フシミノヒガシノ ミササギ 
                                      菅原伏見東陵   奈良県奈良市尼辻西町
                            近鉄線尼が辻駅すぐ
                             近くに唐招提寺、薬師寺があります    
                      

  日本の歴史の中で最初に現れた最も人間らしい天皇
    皇后沙本毘賣の話、古墳に埴輪を用いさせた話、多遅摩毛理の話




    皇后沙本毘賣との悲しくも美しい恋の物語
  
  自分の膝枕で眠る夫である天皇を暗殺しようとして
  悲しくて涙があふれ、果たし得なかった沙本毘賣
  その沙本毘賣を忘れる事の出来ない天皇
  古事記に現れた最初の人間らしい天皇 

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  古事記には他に仁徳天皇の時代
  速總別王と女鳥王の悲恋の物語があります。








 その頃、天っ神の子孫であると信じられていた天皇の権威と
 絶対的権力はその巨大な陵墓に象徴される様に、絶大で、
 普通の豪族達は無論のこと、他の皇族や実の兄弟までもが、
 自分の娘達や愛する妻や恋人までも、天皇の命令があれば
 喜んで差し出して、絶対服従の意志を示す 必要がありました。  

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 命令に従わなければ、死があるのみで、そのことが天皇の
 絶対性を一般庶民に示す、手段でもあった様です。

 後の時代でも、天智天皇は弟、大海人皇子の妃であった
 額田王を召し上げています。
 二人の間には既に十市王女が生まれていたのです。






  愛する沙本毘賣を奪われた沙本毘古の王は
   「吾と汝と天の下治らさむ」と言ったし

  仁徳天皇(大雀命)に求められた女鳥王は速總別王に
   「雲雀は天に翔る 高行くや速總別 鷦鷯取らさね」
       と詠い散って行った
     
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  しかし、後には天皇の位を手にした大海人皇子は
   額田王からそのことを皮肉られ、
    見事に答え抜けました。

          

     

 

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 私はこの写真を見て、墓前に慟哭する多遅摩毛理の話が思い浮かんだ。

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 古事記では多遅摩毛理が常世の国から持ち帰った非時の香の木の実は
 右写真の橘ですが・・・ 

  


















  お堀の中程に小さな島が有ります。
 同じような小島は、崇神天皇陵や箸墓古墳の堀の中にもあります。
 平安時代の回遊式庭園で水分の石とか鶴島、亀島などと呼ばれている
 ものの原型なのか、それとも後世に陵墓を修築した人が作庭した
 ものかは解りません。  

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          (箸墓古墳の小島)
           普段は大半水没して目立ちません








 


 

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