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老青年の遍歴(3)へようこそ!
あなたをお待ちしていました
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今年米寿を迎え、若干体力も落ちてきました。 今までの様に
仲間と連れだって連れだって
山に行く機会は減って
もっぱら平地歩きが主体になることでしょう。
今後は”日記”形式にして脚と共に心の遍歴も記したい。
平成20年1月13日
体調が崩れHPの更新も暫く休んでいたが、心機一転またキーを叩くが僅かなミスがわからず難渋する。やっと西日本の六ができた。
但し入力ミスのため更新できたのは15日になった。
平成19年11月15日
暖冬で遅れていた紅葉も大分色づいてきたようだ。我が家の庭の花水木と街路樹の樫の木が競うように赤くなりそろそろ散り始め、道が落ち葉でいっぱいになる。毎日の掃除に忙しくなる。
平成19年11月10日
例年のごとく冬を知らせるツウワブキが立冬にあわせて咲き出した。雑草並に永年何の手入れもしないのに毎年黄色い花を楽しませてくれる。
平成19年10月20日
娘が例年のようにザクロを届けてくれた。ザクロを見ると秋が深く、冬が近づいていることを実感する。
いろんな果物が豊富に出回る世になりスーパーにもザクロを見ることはなくなった。美味しいが種が大きい割に果汁が少ないのが難点だ。一粒一粒かみしめる様にして食べる。
平成19年9月5日
〇安くて手の掛からぬ園芸◯
左側の日々草、右側のユリ系(名称不明)ともに家内が数年前購入したものです。花が咲いたあと特別手入れすること無く2,3年は同じ場所で咲いていたが採集したタネを播いたり、
移植したりしたので、今は夏場長期間庭中に咲いて楽しませてくれている。
平成19年7月20日
今年家内が珍しく朝顔の種をまいた。大きくなってきたが何かか弱い。茎が細く葉も一回り小さい。
咲き出した花が又小さい。直径30a前後だ。数時間後にしぼむ姿も可憐だ。
生まれて始めてみるこの小さい可憐な朝顔に執着を感じる毎日である。
平成19年6月8日
年をとると体のバランスが悪くなる。私もその例にもれない。前後のバランスは山で鍛えられているので、若い者には負けないが 左右は極端に悪くなっている。
先月14日にコーヒ茶碗を左右に2ヶずつ持って横に移動しようとしたとき食卓の足に引っかけ転倒した。その際割れた茶碗で左 手掌にY字型の裂傷をうける。
出血が激しく病院に急行し手当を受ける。X線で異物の有無を調べ14針縫うたが、年が年だから接着するかどうかわからないと 医師が言う。しかし今日の診断で完全治癒した。
数年前の手だったら医師の心配したようになったかも知れないが、毎日手を心臓より高くして2百回ほど振動させることをしてか ら手先が膨らみ、色も土色から血の循環が良くなり赤味がさしてきているので治癒も早かったのだろう。
●私の健康法の一つ●

平成19年5月8日
町の年長者クラブのハイクに参加する。痔の調子が悪かったので1月以来遠出していない。家の近くを歩くばかりだったので多少不安感を胸にしての参加。
水無瀬駅で下車し皆を待つ。皆早く上がってきて予定より一列車早く出発。案の定山崎駅からの人は予定の電車なのでわら天神手前のお宮で揃うのを待つ。
幹事から最初の建勲神社の高い石段以外平坦な道が多いとの説明を受け出発。西大路通りから鞍馬門通に入り東へ行く。千本通りに出て暫く行くと左に建勲神社の
高い石段が見える。成る程高い石段だが登って参拝後境内の周囲を回って船岡山に登る。三等三角点のある110b程の山だ。
山を北に下りると北大路通り、これを東へ行くと大徳寺に出る。広い境内には多くの塔頭(たっちゅう)があり、中には美しい庭で観賞の出来る塔頭もある。大徳寺の広い境内を北に抜けると今宮神社がある。この神社の「さすらい祭り」は京都の三大奇祭で有名だ。またあぶり餅も有名で祭りや紅葉時等には行列が出来るそうだ。
神社の正門から西へ行き千本通りに出て北上する。暫く行き西にさらに西南に向きを変えると、しょうざんの施設が色々ある妙末寺の通りに出たて北上する。昼時だが場所がない、道ばたで昼食をとる。
食後この道を北に進み、車の往来する道をたどっていくと左にしょうざんのゴルフ場があり、やがて金閣寺に下る三叉路にでた。さらに進むとシダレさくらで有名な長谷苑がある。時間があるので長谷池まで往復の予定で歩いたが道に迷い小高い住宅地を一周した結果に終わった。
先の三叉路に戻り金閣寺へと急ぐ。登りがしばらくで長い下りになる。途中車道と別れ住宅地を暫く行くと金閣寺前、小憩後解散。解散後体調確認のため北大路まで単独で歩く。節々の調子が今ひとつだったが一応北大路まで歩けたので自信が回復した。
◎塔頭(たっちゅうと読む)……もともと禅寺において祖師や大寺・名刹の高僧の死後、その弟子が師を慕って、塔(祖師や高僧
の墓塔)の頭(ほとり)、またはその敷地内に建てた小院のことをいう。
●左上 建勲神社拝殿 ●右上 船岡山三等三角点
●右下 緑溢れる大徳寺境内 ●右下 大徳寺法堂

平成19年5月5日
4月末から5月にかけてつぎつぎとはなが咲いてくる。左上は向かいの畑のサクランボ、沢山の赤い実が付いていたので写真を撮るつもりだったがいつの間にか収穫されてしまって僅か残っているだけになった。
右上の我が家の藤は盆栽の50aくらいの小さいものを地植えしたものだ。一般の藤は70〜80aの長くやれ下がっているが、わがの藤は長くて30aくらいのづんぐりした花だ。
左下はボタン、十年ほど前に植えたボタンの苗木、長らく3〜4輪の花が咲いていたが3〜4年前から増え始め今年は10輪も咲いた。ボタンの花は豪華だが寿命が短く見頃はほんの2〜3日である。
右下はツツジの花で今年は少し花の数が少なかった感じだ。しかし花の大きさは大きく見事だった。特に白い花は豪華に見えたので接写した。

平成19年4月10日
今年は桜見に色々計画を立てたが何処にも行けなかった。そのかわり豊中の宮里ツツジ園にミツバツツジを見に行く。
島本へ移転してきた当時は裏山へ登れば点々と咲いていたものだ。初めてみる薄紫のミツバツツジは新鮮そのもので印象深い花だった。併し年々姿を消していき今は全然見られない。久方ぶりに沢山のミツバツツジを見て感慨深いものがあった。
平成19年4月8日
島本町にはさくらは随所に咲いている。しかし桃の花は少ない。我が家の桃は木も大きく花数が多い。花は桜より一両日遅いが、桜と競うように満開になる。 この桃の木は住道の家から移植したもので、当時は甘い大きな身を沢山つけた。
当地に来てから木も大きくなり、虫除けの袋をかぶせれらくなった。最近はほとんどかぶせられないので、大きな実は生るがほとんど虫に食われ食べられなくなってきたので大きくなる前に実を全部落としている。
●左は八分咲を庭から撮る 右は満開を2階から撮る。

平成19年4月6日
島本には桜が随所に咲いている。今年はずぼらをして他所には行かず我が家の近くの桜で辛抱する。島本在住の水野さんが毎日走り回って各地の桜野写真をメールで送ってくれるので他へ行かなくとも堪能できた。
7日は小学校の入学式 桜の下を着飾った母親と手を繋いでの入学式は一生忘れられない思い出になることだろう。
●左上 島本高校の正門 ●第三小学校の正門の桜の下を通り校舎に入る。
●第三小学校の道路面から撮る ●トッパンムーアの池面に映える桜
平成19年3月30日
我が家の庭で椿、梅に続いて春を奏でるのはモクレンだ。庭の角にあり華やかなので皆の目に付くが散るのも早い。

平成19年3月24日
椿は1月から咲き始めまだ蕾が沢山残っている。勘定はできないが数百個咲いてくれただろう。新築時の寂しい庭に山から採ってきた小さな木を移植したのだが、今は大きくなり毎年沢山の花を咲かしてくれる。花は他の木と違い、開花したそのままの姿で落下する。またこの落下した風情がなんともいえない。
cvx

平成19年3月20日
今日島本町からの米寿祝いの祝いが届いた。3万円が入っていた。町からに祝いは古希の祝いに1万2千円を貰って以来のはずだ。大阪市民は古希に無料パスを毎年貰う。島本は傘寿にまた呉れるからそれまで毎年1万2千円、(月100円)の勘定だ、大阪と随分違うと細かい勘定をしたものだ。それが傘寿が飛び越えての米寿だった。
平成19年3月9日
税務署へ申告に行く。毎年早々に申告してしまうのだが今年はパソコンのトラブルがあったので遅れた。その足で茨木の天満宮、総持寺へと足を延ばし総持寺駅まで歩く。天満宮の梅は赤と白があり、白は早咲で花は皆散ってしまっていたが赤はまだ大分残っていた。総持寺は西国22番の札所だけに大きなお寺だ。今までにハイキングの待ち合わせで行ったことがあるだけで、今日はゆっくりと拝観してきた。2ヶ月余遠出をしていないので案外疲れた。
| 総持寺の表門 | 総持寺本堂 | 本堂の左奥 太子堂 |
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| 総持寺 地蔵堂 | 堂山閣 | 極楽寺地蔵堂の池 |
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平成19年3月9日
我が家の前の農園にあるサクランボが満開だ。以前近所の方がこのサクランボを十数本道ばたに植えておられ、毎年サクランボを配っておられ、我が家も頂いた。道路拡張工事でこのサクランボがあちこちに貰われていき、我が家の前に2本移植された。お陰で家の前で毎年早めの桜を見せて貰っている。今度はサクランボの成長が楽しみだ。

平成19年2月22日
我が家の近くにトッパン・ムーアという会社がある。凸版印刷系の会社でコンピュータ関係の印刷物を作っている会社だが、外資が入っているかして事務所の外観が明るい。
その外観がそのまま前の池に映っている。この事務所前には桜が多数あり、3月末には楽しませてくれることだろう。
平成19年2月14日
我が家の梅の老木、最近めっきりと花が減ってきたので引っこ抜く算段をしていた。梅の方でそれを感じたのか?
昨年から花が増えだし、今年は最近にない多くの花を咲かせてくれた。来年はさらに枝一杯に咲かせてくれるだろう。
平成19年1月5日
老青年の正月は飾り付けも無しの至極簡素なものだ。玄関横の南天が正月唯一の飾りだ。
約1.5bの間に4本の南天の木が大きくなり寒くなると赤い実を いっぱい付けて正月を迎えてくれ、 またその後暫く楽しませてくれる。

平成19年1月5日
愛好会新年恒例の初級ハイキングに参加。近鉄久宝寺駅で下車、久宝寺城跡を見て寺内町にはいる。
ここは富田林や今井町の様に派手さはないが結構古い家が残っている。また寺内町には六つの入口にはそれぞれ辻地蔵さんがあり、その他にも多くの地蔵さんが見られる。ふれあいセンターの敷地内に道頓堀を掘削した安井道頓生誕地の碑があった。この寺内町の中心であった顕証寺にお参りして八尾へと足を向ける。
途中八尾浜舟着場跡を見る。今は川幅3b程の川筋だが昔は大和川の本流で200bの川幅があり川舟が往来していた。剣先舟が人、米、木材など京橋まで積み下り、茶などを大阪から運んだそうだ。宝永元年(1704年)大和川の付け替えで大きく歴史が変わった。ついで八尾市寺内町の中心になる大信寺、常光寺(河内音頭発祥地の碑がある)、八尾神社(境内に八尾城趾有り)と訪ねて帰途に就く。
●寺内町の昔懐かしい家 ●安井道頓生誕地の碑
●寺内町の中心の顕彰寺 ●河合音頭発祥地の常光寺

平成18年12月23日
近鉄のフリーハイキング「日本武尊白鳥稜と大和川沿いの古墳巡り」に参加する。古市駅に着いたら10時前、遅いと思ったが同じ電車に30数人も乗っていた。いつもの通り係員から略図を貰い歩き出す。今日は何か足が重たいのでゆっくりと歩く。
駅の東側の白鳥神社を通り抜け北に向かうと正面に誉田八幡宮がある。誉田八幡宮は欽明天皇の創紀と伝わる。応神天皇を祭り、日本最古の八幡宮と言われており、現在の社殿は豊臣秀頼により再建された。
八幡宮を出て西へ行くと右側に宮山古墳、墳丘長154bの前方後円墳で、前方部を西に向け、墳丘は三段築成です。周囲には堀と堤を張り巡らせており、現在は公園化されている。これより南へ約300bに墓山古墳(古市古墳郡内で5番目の規模、築造年代は5世紀前半代に比定されている)がある。
古墳の傍の墓地を通り抜け約1`行くと翠鳥園公園だ。
ここは平成4(1992)年春、羽曳野市のほぼ中心地でそれまで予想もされていなかった旧石器時代の大遺跡、翠鳥園遺跡(すいちょうえんいせき)が発見されました。 現在の地面から60cm下には、およそ20,000年前から10,000年前にかけて積もった粘土層があり、その下はさらに古い時代にここを流れていた川が運んできた砂と小石からなる基盤層になっています。旧石器類がみつかったのは固い基盤層のすぐ上で、粘土層におおわれて保護されていたために、小さな破片までがおよそ20,000年前の状態そのままに残されていたのです。
公園より市街地を700b程南下すると大きな池に出る。池の中の丘が日本武尊白鳥稜であり、北側の道路はウオーキングトレールとして整備されている。この道を東へ行き国道170号線に出て右折する。暫く行くと左側に安閑天皇陵がある。交通の激しい国道に沿って御稜があるのは珍しいのではないか。
御陵に沿って今度は北上し、石川沿いに歩く。少年野球が盛んなようで3つのグランドで競うように練習していた。またこの道はサイクリング用に整備されているか多くの人が色鮮やかなユニフォームでサイクリングを楽しんでいた。西名阪自動車道の下を通り河川公園星の広場で昼食をとる。
次は気分変わっての玉手山公園、人道の玉手橋を渡り市街地に入り、郵便局の前から徐々に上っていく。公園の一帯は、4世紀の古墳群であるとともに大坂夏の陣で、大坂方の先陣・後藤又兵衛らが奮戦した古戦場でもある。
下りは国分駅付近まで下るが、略図では分かり難くなり、体調も良くないので高井田横穴古墳は省略して帰途に就く。
●上左 誉田八幡宮 朝早くからお宮参り ●上右 石器を作るサヌカイト原石を表したモニュメント
●下左 安閑天皇陵 ●下右 玉手山山上の後藤又兵衛の碑

平成18年12月20日
今年は暖かい。紅葉はどこもかも遅れていた。庭の一本の紅葉も皆赤くなる前に散ってしまった。ドウダンツツジが散らずに未だに残っている。冬の花獅子頭も遅れていたがやっと咲いてきた。今年のドウダンツツジは花が少なかった。木も大きくなった、沢山の花を咲かせて楽しませてほしい。
●生け垣に沿って咲く獅子頭 ●白い花が咲くドウダンツツジ

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平成18年12月5日
今日は御所の内「歩く会」で洛北岩倉の里を歩く。この付近は何度か歩いているが実相院付近は行っていないので期待して参加。
叡電の岩倉駅で下車、近くのコンビニで買い物済まし歩きだす。すぐに小さな寺がある。尼寺の心光院だ。ここの重文の阿弥陀如来が珍しい座り方しているそうです。川に沿い少し北に行くと山住神社がある。この神社は社殿が無く巨大な自然石があるだけでその前に小さな拝所があり、ご神体の岩を直接拝む珍しい神社だ。神体である自然石は7〜8人が手をつないでやっと抱えられるほどの巨石。今は上にある石座神社の御旅所になっている。
川に沿いさらに進むと岩倉具視幽棲旧宅がある。岩倉具視といえば旧500円札紙幣で身近に感じる人も多いだろう。岩倉は貧乏な公卿だったが、公武合体策を推進し、和宮降誕を実現させた。が、討幕過激派から命を狙われこの場所に5年余り幽居した。
実相院は門跡寺院でなかなかの由緒ある寺で紅葉時とはいえ観光客が絶えない。この寺の見所は桃山時代の回遊式庭園と狩野派の1244面の襖絵だそうで、一度ゆっくり尋ねて庭など拝観したいものだ。
石座神社は岩倉の産土神の神社。毎年10月23日午前3時には火祭りが行われます。本殿横の一言神社は、ただ一言の願いごとを祈願するとかなえてくれるとか。
大雲寺の十一面観音菩薩と閼伽水が大勢の人が良く効くと聞いて参籠し、この井戸の水(観音水)を飲むと病が平癒した。この言い伝えにより泊まりがけの参詣人が増え、とりわけ心の病の人が参詣し観音水を飲まれた。今日岩倉病院、北山病院など精神科関連の病院が建てられるようになったのもこの関係か。この三社寺は隣り合わせに所在している。
妙満寺は元治元年(1864年)禁門の変で全焼した後、復旧が進まず昭和42年岩倉に土地を得て移転新築された。山門を入ると左側におおきなインド風の仏舎利塔が達っている。宝物には安珍・清姫の伝説で知られる道成寺の鏡が納められている。
写真のように昔の面影を残す長い土塀のある民家が見られる岩倉の里は心を和ませる。今日は行程5`弱の軽いハイクだったが充実した1日だった。
● 社殿のない山住神社 ● 実相院の山門
● 長い民家の荒れた土塀 ● 妙満寺の本殿 左に仏舎利塔が見える

平成18年11月25日
奈良は再三訪れているが何時もハイキングの序でと行った感じでゆっくり歩いたことがない。今日は近鉄のフリーハイキングで歩く。フリーハイキングは地図を貰って一人気ままに歩けるのが良い、また出発時間が拘束されないのがよい。今日は油断したら遅くなり奈良へ着いたのが10時半だった。
先ず東大寺に行く。土曜日だからか観光客が多い。大仏殿は金堂、回廊、中門に囲まれた壮大な建築で、間口57b、奥行き50b、高さ48bあり、江戸時代の再建で創建時より間口が3分の2に縮小されているそうだが、それでも木造古建築としては世界最大である。回廊の周囲を一回りしたが広いの一言だ。
次いで正倉院、大仏池を回り二月堂へ行く。正倉院は奈良・平安時代には官庁・大寺には重要物品を収める正倉があった。正倉とは寺の倉庫でありどこの寺にもあったが、他はなくなり東大寺だけが残った。二月堂は毎年3月お水取りが行われることでしられている。途中多くのカメラマンが大きな望遠レンズを付けて紅葉を撮影に熱中している。見れば大半髪の毛が白い人だ。
三月堂、手向山八幡宮を過ぎると若草山の麓にでる。ふと見ると墨の古梅園の店がある。子供の頃習字に古梅園の墨を磨ったものだ、店内を懐かしく見てまわる。右側は売店、食堂が続く、やがて階段を降りると春日山遊歩道への道、これを横断すると春日大社の境内の雰囲気が漂う。
暫く進むと春日大社の本殿がある。本殿から南の方は静かで出会う人も少ない。樹木に覆われた境内の道も終わり東海自然歩道の道に出て暫しの静寂の夢を破られる。今日は新薬師寺は省略、志賀直裁旧邸前を通り鷲池へ出る。ならまちの南へ回り一巡して奈良駅に戻った。
今日は大仏殿の撮影だけでメモリーが満杯の失敗をしたので後の写真はなし。
● 奈良の象徴 鹿 ● 遊歩道への道を横断する場所から撮る。紅葉が一番綺麗だった
● 大仏殿を正面から撮る ● 大仏殿を西側から撮る
平成18年11月15日
年長クラブ島本の11月例会で丹波の七福神巡りに行って来た。参加者57名。島本町年長者クラブの依頼で発足したこの会も満8年になる。毎回40〜60名と参加者が多い。いつもの通り亀岡駅前で並んで人員確認して出発する。
駅から新しい保津橋を渡る。少し先で右へ行けば明智越えだが直進するが今日はこの街道を北に進む。少し行くと右へ牛松山への道がある。さらに北へ一番の神応寺の毘沙門天を訪れる。境内には約330体の石仏を祀った石仏庭園がある。次いで2番の布袋尊の養仙寺、全国から納められた様々な布袋尊約600体あるそうだ。昼食はさくら公園。公園から七谷川沿いに桜が2000本植えられ、春には桜見物で賑わうそうだ。
食後は3番の大黒天の蔵宝寺、4番の弁財天の金光寺、5番の恵比須の耕雲寺を詣る。出雲大神宮で小憩、記念写真を撮り6番寿老人の極楽寺、7番の福禄寿の東光寺で七福神巡りが終わる。帰途は千代川駅までの約4`を競う様に歩いたので多少疲れた。
| 神応寺 | 神応寺 毘沙門天堂養仙寺 | 蔵宝寺 大黒天堂 | 金光寺 弁財天堂 |
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| 耕雲寺 恵比須天堂 | 耕雲寺から眺めた亀岡盆地 | 極楽寺 | 東光寺 福禄寿堂 | 東光寺の福禄寿像 |
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平成18年11月9日
半年ぶりに近畿山岳愛好会の例会に参加する。今日のCLは岸野さん。行基遺跡巡りで泉北高速の深井駅からJR津久野駅まで歩く。
深井駅から先ず珍しい土塔を訪ねる。土塔とは一辺約60b高さ9bのピラミット状の土のブロックを
13層積み上げ、各層ごとに瓦を葺いた土の塔で、行基が大野寺の創建にあわせて築造されたもので、今その復元をしている。
次いで野々宮神社を訪れる。この神社には明治初年まで香林寺(行基建立の49院の1院)と併存していた。続いて行基生母の生誕地とされる華林寺を訪れた後広い団地の中を通り抜け住宅街の中にひっそりと佇む和泉式部宮を訪ねる。
最後に行基生誕地の家原寺を訪ねる。この寺は文殊菩薩を行基自が日本で最初に祀ったことから、知恵を授かるお寺という信仰が厚い。受験シーズンには全国から合格祈願のとずれるそうだ。
●左上 造成中の土塔 ●右上 行基生母の寺 華林寺
●左下 家原寺本堂 ●右下 家原寺境内にある行基生誕の碑


平成18年10月19日
御所の内クラブの「歩く会」で前回に続いて嵯峨野を歩く。
今回は京福電鉄の鹿王院駅で下車、北上すると有栖川沿いに油掛地蔵がある。油を掛けてお参りする地蔵さんだ。水掛地蔵はよく見かけるが油掛は初めてだ。
次いで阿刀神社に参拝、由緒ある神社で昔は広い境内だったが今はマンションに囲まれ狭い境内に大木2本が面影を残している。続いて遍照寺へ行くが此処も由緒ある寺だが狭くなった境内に小さなお堂が残るのみ。
ここを北に向かうと広沢池、千年記念の碑の前で昔を偲び、景色をめでながらの昼食。食後後宇多天皇陵に続いて嵯峨天皇陵に参拝する。嵯峨天皇陵は山の上にあるが、皆元気よく遅れずに登られた。
最後は名古曽の滝跡を訪ねる。この滝は嵯峨院滝殿の庭に設けられた滝石組で、この滝殿は源氏物語にも登場する。滝についての歌は百人一首にも詠まれているが、各時代の歌人によって多く詠まれている。
●左上マンションの蔭にひっそりと佇む阿刀神社 ●右上昔の面影ない小さな御堂
●千年の歴史が漂う広沢池 ●嵯峨天皇陵参道の途中から嵯峨野を眺める

平成18年10月8日
今日は阪急の山本駅から伊丹駅まで歩く。
暫く訪れなかって駅前が綺麗に開発されている。駅から南下、先ず伊丹市立の荒牧バラ公園を訪れる。250種類、約一万本のバラが見頃である。公園を出て天神川沿いに南下し昆陽池に行く。この池は奈良時代僧行基によって築造され、1200年たった今は関西屈指の野鳥集来地で憩いの場所として有名。これから寒くなるに連れ集まってくる野鳥が増えてくる。
水辺に浮かぶ野鳥を眺めての昼食を済まし、水路のある公園風のたんたん小道を通り、Jれきちかくの瑞ヶ池、緑ヶ池、伊丹緑道を経由して伊丹の中心地にはいる。JR伊丹駅近くの有岡城趾を訪ねて阪急伊丹駅からかえる。
●左上荒牧公園 ●右上荒牧公園咲き誇るバラ
●昆陽池の野鳥 ●右下 昆陽池の野鳥

平成18年10月6日
今日は年長者クラブのバス旅行だ。
行き先は三井寺、近江神宮、、みずの森でいずれもハイキングの途中慌ただしく訪ねているが、今日はゆっくり訪ねて見るのも良かろうと参加した。
今日の三井寺は仁王門からはいる。何回か来ておるが仁王門(表門)から入るのは初めだ。この門は徳川家康が甲賀の常楽寺より移築した門である。修復中の金堂(桃山時代を代表する名建築)をかいま見ることができた。又一切経蔵の中の一切経を納める回転式の八角輪蔵を拝観できた。ただ時間の関係で唐院しか見られなかった。近江神宮はバスが楼門の前までいったのであっけない感じだった。ここは長い参道を歩かないと気分が出ない。
みずの森はロータス(蓮と睡蓮の総称)を主体にした植物公園である。夏になると緑の葉が湖水を覆い、淡紅色の花が湖面一面に咲く様はまさに壮観。花蓮としては日本でも最大スケール。ただこの季節では見られない。アトリウムは温室でスイレンの花が一年を通して美しい姿を咲かせている。
みずのもりを出てバスが随分と南へ走る。関心がなかった寿長生の郷は立木観音の南の鹿跳橋を南へ、大石にある。63、000坪の広大な敷地に梅林等植え、又数十万本の野草等、四季折々の花が咲く。東北から九州にかけて全国50店余に売店をだしている京菓子の名舗の「叶 匠寿庵」の本店所在地である。「あも」を買って帰る。
●三井寺の表門仁王門 ●近江神宮の楼門(本殿の方からとる)
●みずの森 すいれん ●みずの森 皆を迎える華やかな花
平成18年9月30日
のせでんの石切山のコースがあったので予定を変更して参加する。この石切山は北の方から南下して登り釣鐘山経由で下山たことが2度あるが今度は逆コースなので興味もって参加した。
能勢電の滝山駅で下車、川に沿って西に行くと萩原大橋傍の八皇子神社で集合、少し早いと思ったが早や大勢集まっておる。今日はどのコースを行くのかと思いながら皆の後について出発。住宅街の中、緩やかながら坂を上っていく。住宅街を離れると公園風の中を行くと広い道路際に出る。向かい側に明峰高校がある。
道路に出ず左の山中にはいる。
予想外の石切山の北方向だ。緩やかな登りで暫く歩くと釣鐘山との分岐。是より暫く急登したら石切山の三等三角点283b。逆方向できたので始めてきた感じだ。是より下っていくと新しい車道に出た。傍に公園や立派な老人ホームがあった。最近出来たばかりのようだ。ホームの横あたりから又山中に入り下っていくと満願寺だ。
境内を出て車道から西明寺滝への道に入り南下する。途中から山中に入り谷筋を下っていく。途中砂地の坂で滑り軽い肉離れを起こし雲雀ヶ丘駅でリタイヤする。
●石切山の三等三角点 ●満願寺


平成18年9月21日
御所の内(我が町内の通称名)年長者クラブの「歩く会」で初秋の嵯峨野をあるいてきた。コースは「嵐山駅−渡月橋−大井神社−安部晴明の墓所−長慶天皇嵯峨東陵−曇華院と鹿王院−斉明神社−車折神社−蛇塚古墳−広隆寺−大酒神社−木島神社(蚕ノ社)−京福電鉄蚕の社駅」で、何度も嵐山を訪れているが大井神社から斉明神社までは初めて訪れる。
渡月橋の下を流れる川は桂川と思っていたが亀岡から嵐峡に入るまでは保津川、その下流が大堰川(大井川とも書く)、渡月橋からガ桂川と呼ばれ淀川に合流する。大井神社は渡月橋の北東角の茶店の横を入ったところにあり、ほんの小さなお宮さんで、詳しい由緒は不明だが、泰氏が大関川の治水工事の際祈った痕跡と推定される。恐らく訪れる人は殆どないだろう。
そのほか車折神社、広隆寺を訪れる人は多いがその他は大半の人が訪れることがない場所だ。特に車折り神社境内に芸能神社があり周囲に芸能界の人達が奉納した赤い立て札が立てられており、色んな神さんがあるものと感心する。
●左上 芸能神社に奉納された赤い立て札 ●何回か訪れたが表門から初めて入る
●左下 民家に囲まれた蛇塚古墳 ●木島神社(蚕ノ社)の鳥居

平成18年9月17日
最近最も安かった花
日々草です。一昨年百円玉で買った種をまいた。永らく沢山の花が咲き楽しませて貰ったが、寒くなると共に忘れてしまっていた。翌夏タネがあちこちに飛んで庭中広がって咲き再度楽しませてもらった。
今年は少しは芽を出すかと思っていたら、作年に負けずに随所に芽が出たのでまとめたが、庭のあちこちで咲き始めこの夏も十分楽しませてもらった。この調子なら来年も楽しませてくれるだろう。この花は個々に見るとあまり愛想がない花だが集まると美しい。百円玉で永らく楽しませて貰い有り難いことだ。

平成18年9月16日
夏場の花の少ないときに楽しませてくれたサルスベリも
そろそろ終わりに近づいた。それでもまだ今月中は咲いて
くれそうだ。今は大分花が少なくなり1a程の実がだいぶん
増えてきたがまだ写真のように咲いている。

平成18年8月8日
年長ウオーキング島本の8月例会に参加する。今日は三宮駅からポートアイランドを通り神戸空港まで歩き、空港を見学というスケジュールである。今日は暑いのに40名の参加者があった。台風が来るが降っても夕刻からの予報だったが、台風はそれて1日良い天気だった。
駅から市役所前を通り神戸大橋を渡りをポートアイランドに入る。此処の住宅地は20年近くになり、せせらぎの森もすっかりなじんでいる。南部に入ると商業施設が少ないか寂しい感じがするが、長い距離のオートウオーク(歩くエスカレータ)設置され税金の無駄使いが感じられた。これは地震後の土地の販売に困却したお土産だろう。まだまだ空き地が目立つ。
ポートアイランド南駅前にある花鳥園に入る。。ここでは飼い慣らされた鳥が腕に止まりエサを食べたり、珍しい多くの花々に囲まれての食事と一時和やかな雰囲気に囲まれる。
●左上 腕に止まりエサを食べる小鳥類。 右上 食堂の天井一杯に飾られた花々。
左下 バラの花のような球根ベゴニヤの花。 右下 珍しい南方の円形の蓮の葉

食後いよいよと空港に向かう。長い空港大橋を渡るが、歩いているのは我々グループのみ、空港施設以外はまだ工事中が多い。空港は海に囲まれているためか狭い感じがする。また待機しているのはジェット機2台とYS11号1台だけで地方の空港といった感じだ。
●左上 空港へはこの空港大橋を渡る。 右上 誰も通らない空港大橋
左下 滑走路に向かうジェット機 右下 3台のうち2台は飛び立ち残った1台。
ポートアイランドの経過を記しておく。
1966年着工
1981年国内初めての地方博「ポートピア81」を開催
1988年住宅街歓声入居始まる。
1990年六甲アイランド線開通
1995年大地震で液化現象を起こす。
このためその後土地の販売が遅れ、2期工事(右下半分)の完成も遅れた。空港は税金の無駄使いと反対も多かったが、此処の第2期の計画達成にも大いに関係があったのではないか。
写真は空港未完成のもの。 赤印は三宮駅
平成18年7月26日
梅雨明けがおくれ暫くハイキングに遠ざかっていた。お天気になり待ちかねたように阪急のハイキングに参加する。
暑い時期だ、軽いハイクにアサヒビールで試飲に誘われての参加。早目にと集合地の服部天神社に行くが、早や境内に多数詰めかけており、出発も予定より15分早くなった。天神社を出て北上、やがて服部緑地に入る。久方ぶりの緑地で広さを再認識する。南西から入り北の方を一周して南東へ抜ける。民家集落もあり再度訪れてみたい。
途中岳友2人と偶然に会い行動を共にする。緑化植物園の南を通り市街地を暫く歩き豊津駅の東、片山公園で昼食を摂る。公園を南へ降りたらアサヒビールの工場だ。ゆっくり食事の後アサヒへと向かう。人数が多いので整理券を呉れる。組、番号を見る500人台だ。後も多くの人が来ているから恐らく700人以上参加してることだろう。
人数が多いので先ず缶ビールを呉れ、あとは空き缶引き換えに生ビールが飲める。喉が渇いているので美味しい。ジョッキー2杯飲んだが、汗をかいた後なので軽く飲んでしまった。一杯機嫌で写真を撮り、アサヒビール工場をあとにする。
●服部天神社は足の神様である。能瀬街道の要所であったことで門前市をなすようになり、
江戸時代の中期から末期にかけては最盛期で境内外が非常に賑わった。
●右はお変わりのジョッキーで一杯機嫌の3人

昭和18年7月13日
祇園祭はこの年になって見に行ったことがない。山鉾の巡行はテレビで断片的ながら何回と見ているので、町内にある山鉾を見ようと出かけた。地図とパンフレットを頼りに、先ず昨日初引きのあった長刀鉾を見て烏丸通りを西へ、函谷鉾次は室町通りを上る。菊水鉾、を見て新町通りにはいる。この通りには北観音山鉾、南観音山に放下鉾と3台の鉾が並び壮観だった。ここで何回か往復するとともに北観音山鉾の初引きのお手伝いもする。ここでカメラの電池が切れたので、四條通りを下り何台かの鉾を見て帰る。大体今日で全部初引きが終わるようだが、小さな鉾では今から組み立てるような処もあった。
●右下以外は北観音山の鉾で初引きの様子を撮る。引く人は幼稚園児から女子高生、
遠来の人もまじり賑やかだった。初引きに参加すると厄よけになるそうだ。
右下は曳山の霰天神山です。
山鉾は32基あり北観音山鉾のような高いものを曳山と呼び10基ある。他は大勢で担げるような低いものかつぎ山と呼ぶ。

昭和18年6月11日
淀の原山歩クラブの仲間と宇治から三室戸寺へ歩く。
宇治川右岸を歩き吊り橋を渡る。この吊り橋を初めて渡ったのは20年前の東海自然歩道踏破の時だった。その後何回となく訪れるが懐かしい一言に尽きる。
天ヶ瀬ダムから森林公園への道は閉鎖され急な石段を登らされる。公園にて一時展望を楽しみ志津川添いに下り自然歩道出合いから佛徳山に登り食事をとる。午後は世界文化遺産の宇治上神社を参拝し、源氏物語ミュウージアムに立ち寄り一時当時の雰囲気を楽しむ。
そのあと三室戸寺へと急ぐ。随分前に訪れたことがあるが雰囲気が全然変わっている。以前は鬱蒼とした林の中のアジサイの印象があったが、今は広い日本庭園にツツジ園と見違えるようになっている。アジサイには静かな雰囲気が適し派手さは場違いの感じだ。前日の新聞に満開と報じていたが5分咲だった。
●左上 懐かしい吊り橋 右上 三室戸寺正門
左下 昔のアジサイ園は左半分だけ 右下 日本庭園 以前は無かった

昭和18年6月8日
能勢電光風台駅から県立一庫公園へ行き山下駅まで単独で歩いてきた。駅の近くは広い住宅街だが、駅を降りても住宅街が見えない。駅からは高台にありエスカレータが2基が利用されている。たまたま当日エスカレータが故障で長い階段を上らされる。広い道が新旧の住宅街を繋いでおり一庫公園へはこの道を西へ行く。緩やかながらも長い坂道を歩き、住宅街の終わる頃左に下って知明湖畔に出る。
一庫りんどう橋を渡り公園の湖畔を暫く行くと公園への出合いの谷に出る。公園へは此処の360段の階段を上る。今日は途中から森の小道を歩き森の広場に出た。知明山へは更に150b程登ると三等三角点349bのある山頂に着く。下山は左へ急直下の500段の階段を下り見晴らしの広場に戻り昼食を摂る。
帰途は登りと同じ出合いの谷を下りさくら橋を渡る。対岸の湖畔の道を歩き一庫ダムに着く。草むらの中の階段を下り山下駅へと歩く。駅へもう少しというところで急に雨が降りだしたので、駅への目測を誤り大回りのおみやげが付いた。
●左上 出合いの谷から一庫ダムを見る 右上 知明山山頂標識 三角点は右手前にある
左下 知明山急直下の500段の階段 右下 一庫ダムを下から見る

昭和18年5月21日
愛好会の例会で高槻市の「万葉の里コース」を歩く。唐崎西口から西へ少し行くと玉川の里がある。南方に約1`の遊歩道があり、立派な桜の並木道だ。今は高槻市民の花卯の花が満開だった。この桜並木は見応えがあるだろう、是非時期には一度訪れたい。西徳寺では珍しく四方に長く枝を伸ばした松があった。堤防にでると「くらわんか舟発祥地碑」がある。くらわんか舟は枚方が発祥地と思いこんでいたが地の利で後からの枚方が繁栄したらしく、あくまで発祥地は高槻と書いた碑があった。河川公園は日曜日なので野球、サッカー等でグランドが満員だった。上に上ると三島江浜跡があり、現在の枚方市出島から渡船で三島浜にきて、これより神峰山寺へお参りする道筋だった。その面影の石碑がある。さらに芥川に沿い番田大橋まで行き体育館前からバスで帰った。
●左上 市民の花 卯の花 右上 西徳寺の枝が四方に伸びた松
左下 くらわんか舟発祥地碑 右下 神峰寺への道碑
5月19日
今年もそろそろ咲き出した皐で春の花の季節が終わりに近づいた。庭を賑わしてくれた花を並べて
みよう。昨秋桃、ハナミズキの剪定が多少やりすぎ今春の花が少なかったが来年は沢山咲くことだ
ろう。
| 椿 | どうだんつつじ | はなみずき(白) | 牡丹 | 藤 |
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| はなみずき(赤) | 木蓮 | つつじ | 桃 | 木蓮 |
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5月16日
年長ウオーキング島本(島本町年長者クラブ連合会のクラブ活動)の5月例会に参加する。参加者38名。中山奥の院から清荒神へのコースだ。このコースは何回となく歩いており初心者コースの概念が抜けきらないが、久方ぶりにこの年になって歩くと登りがなかなか厳しい。この会は昭和11年秋発足した。リーダーは5,6人の人が交代に勤めてくれている。私も当初リーダーをしていたが年齢もあり若手に交代して貰った。毎月の例会に多いときは60人くらい少ない時でも2,30人の参加がある。
● 左は中山寺奥の院 右は清荒神

5月14日
愛好会の例会で奈良の広陵町を歩いてきた(12`)。近鉄の大和高田駅で下車し、南郷環濠集落を訪れる。昔は幅3bの濠が掘られ周囲に土塁があったが今は石積みで昔の面影はない。次いで百済寺を訪れたがどこの百済寺も古い面影を残しており鎌倉時代に建立された三重の塔があった。広陵町はかぐや姫(実在だったそうです)の町で大きなかぐや姫が屋根の上にありました。又多くの社寺に参りましたが大福寺の88ヶ所巡りには感心しました。石碑が点々と建ち丁重にお参りしても一巡が十数分で終わるような簡易な88ヶ所でした。義経と結ばれた静御前は現在の大和高田市磯野で生まれたそうで、又義経と別離の後磯野に帰ったそうです。帰りは箸尾駅から近鉄に乗りました。都会の駅と違いのんびりとしておりましたが、女子高生2人がフォームにあぐらを組み座り込みお化粧に熱中、又電車の中でも広い席を取り足を投げ出したり又化粧をしだす傍若無人には首を傾げました。
●左上 南郷環濠集落の公園化された環濠 右上 百済寺の三重の塔
左下 広陵町のシンボル かぐや姫 右下大福寺の石碑の88ヶ所巡り
5月5日
予定より少し遅れたが遍歴(2)の更新がやっとできた。一服したのと新しい画面と欲張ったので何もかも一からの再出発だった。

4月30日
近畿山岳会の橋目氏の例会「JR茨木駅−茨木神社−総持寺−磯良神社−西川原公園−耳原公園−新屋坐天照御霊神社−郡山宿本陣−地蔵ヶ池ジョッキングコース−茨木駅」を歩く。小生は総持寺で皆を待つが10時になっても顔が見えない。しびれ切らして一人で歩くかと腰を上げたら皆が来たのでホットする。さて、総持寺は西国の22番札所で、今日も朝から参拝客が次々と来る。ご本尊は珍しい亀に乗った先手観世音菩薩。次の磯良神社には「玉の井」があり、湧き出る御神水は諸病平癒に霊験あらたかとして、通称「疣水さん」として親しまれている。新屋坐天照御魂神社は市内最古の神社で、格式高い社名は府下では類を見ないとのことだが、その割りにはひっそりしていた。西国街道にある郡山宿本陣(椿の本陣)を訪ね、その後ジョッキングコースを歩き茨木駅に出て解散し、皆と別れ阪急茨木駅に出た。今日のコースはほぼ14`強か。
●左上 総持寺の池の亀 温くなって甲羅干し 右上 総持寺
左下 新屋坐天照御霊神社 右下 郡山宿本陣
4月16日
12日に年長ウオーキング島本の例会があったが天候が悪く中止したので間があいた。今日は近畿山岳愛好会の集中登山が箕面で行われた。全参加者65名が6コースに別れて歩きそれぞれもみじ広場に集まった。冷たい日が続いたのでまだ桜が散らずに残っていた。特に多くのみつばツツジが満開で久方ぶりに楽しませて貰った。
●左は満開のみつばツツジ 右は赤い橋に映える桜
4月8日
淀の原山歩クラブの例会で「玉水駅−地蔵禅院−橘諸兄旧跡−蟹満寺−椿井大塚山古墳−山城郷土資料館−木津駅」(約14`)を歩く。城陽町、井手町、山城町、木津町の4町で合同で宣伝し始めて10年ほどになる。その最初の企画の際城陽から木津まで歩いた。その後一度歩いたが久方ぶりに桜の時期に誘われ歩く。玉川の桜は見事だった。また井手町を眼下に見下ろす地にある地蔵院の天然記念物のしだれ桜も見事なもので朝早くから見物の人が続々と詰めかけていた。
●左は玉川の桜 右は地蔵院のしだれ桜

4月7日
島本町の桜を見ながら家から山崎聖天まで歩いた。山裾にある町だけに視野から桜が無くなることがない。
視野から消えたのは水無瀬川の手前でほんの暫くだった。
左上は自宅2階から見る桜 右上はトッパンムーアの広場に咲く桜
左下は関電前の桜 右下は山崎聖天境内
4月3日
庭の木蓮が咲いた。昨秋の虫害の駆除が効いたかして今年は今までになくよく咲いた。桃の花も咲いた。毎年桜より数日早く咲く。今年は剪定が強すぎたので花が少ない、しかし来年は沢山咲くだろう。
3月27日
画像の挿入がトラブルで思うように出来ない。アドバイスを受け解決したが、初歩的なミスでとらぶっていた。斯様な初歩的なミスを重ねてすることは老化が進んでいるためだろう。何か老化を止める薬がないものだろうかか。
3月25日
菊水山から鈴蘭台へ下ったことは何回かあるが登ったことがない気がするので神鉄の
ハイキングに参加する。
コースは「鈴蘭台駅−菊水山三等三角点M458.6−石井ダム下流−鵯越駅」。新開地から同じ電車に乗り合わせた参加者は少なかったが、集合地に行くとやはり大勢集まっていた。
一服する間もなく出発、遅れを見越して先頭グループで出発。すぐ車道を離れ山の中に入り谷沿いに登る。差ほど急な道ではないので皆どんどん追い越していく。当方は皆と同じ調子では登れない。何回か休憩したので山頂に着いたときは最後尾グループになってしまった。高度差200b程だ、暫しの休憩で疲れも回復する。
さて下りだ、230b程の急直下の階段がゴルフ場あたりまで続く。下る途中で小学校の低学年のボーイスカウトが皆遅れずに登ってくるのに出会ったが、急降下を振り返って感心する。
これより花の休憩所まで長い道を下る。休憩所近くまで来たら次々とグループが登ってくる。あとでわかったが食事を済ました我々のグループだったのだ。休憩所で昼食を済まして、先来た道を戻り少しイヤガ谷東尾根に向かって左へ登っていく。体力は十分残っていたので最後まで行くつもりだったが、ここでまた登りに遅れるのが気分的に惨めに思え、途中で鵯越駅への道があったので別れて帰途に就く。
菊水山に何度か登っているが、この急登は完全に記憶から消え、元気なときの記憶しか残っていない。
●左は頂上の電波塔と菊水山の石碑 右は三角点
3月21日
韓国に2連敗し何とも言えない屈辱を味わったが米国に勝ち準決勝に進出し、この韓国に点を入れさせず快勝した。
決勝はキューバと対戦、最後まで追いすがるキューバを突き放し優勝した。久しぶりに最初から最後まで観賞する。
3月18日
明19日は墓参りに行くことになったので急遽近鉄主催の「上ノ太子駅−宗門池公園−科長神社−小野妹子の墓−二子塚古墳−推古天皇陵−葉室公園−用明天皇陵−叡福寺−西方院−通法寺跡−壺井八幡宮−上ノ太子駅」に参加する。約13`の行程だ。
遅く着いたので同じ電車に乗り合わせたのは10名程度だった。地図を貰って各人がフリーに歩くのだが、この地図の文字が小さくて読みにくい、また距離感がわからないので人のあとに付いて歩くことが多かった。同行の人もわからないので話し合っているうちに最後まで一緒に歩くことになった。
科長神社付近から雨が降り出してきた。二子塚古墳付近で60前後の女性とも地図のことで話し合い三人そろってあるく。昼遅く降り出すだろうからそれまでに駅にたどり着く予定だったが予想外に早く降り出したが一人だったら切り上げて帰っただろう。
昼食場所に思案していたら、幸い葉室公園に遊園地にお伽の小屋があり雨を避けての食事が出来幸いだった。
葉室公園から用明天皇陵がまたわかりにくい地図で大分まごつく。そのあと西方院から通法寺跡まで雨の中の3`が長かった。八幡宮境内の幹周り8bの大きい楠にはちと驚き。
今日は見知らぬ三人が最後まで一緒になりうっとしい雨だったが楽しい1日だった。
●左は小野妹子の墓で丘の上にある。 右は楠で府の天然記念物になっている。
3月15日
午後から大阪城公園の梅林を見に行く。
梅の実を採る梅林は白花で咲く時期が皆一緒なので派手さがない。その点観賞用の植樹されたものは白、赤に早咲遅咲とあり派手さがある。
今日は休日でもないのに大勢の観客で賑わっていた。26日から緑化フェスティバルが始まるので城内外に植園業者が大勢入り込み準備に大わらわだった。
3月10日
玉井さんのOEトラブル処理に再度赴く。ZAQとの電話のやり取りで解決した。問題点は8日に再設定をすれば解決すると思い設定のCD−ROMで処理する際アカウントの入力間違いをした。
小生のはakaym100玉井さんのはakaywとmとwの間違いが逆に問題を複雑にしてしまったのだ。
3月9日 近畿山岳愛好会の例会「富雄駅−葛上神社−霊山寺−追分梅林−子供の森−東明寺−矢田寺−弘法の井戸−矢田峠−萩の台駅」に参加する。参加者は40名と多かった。
追分梅林は久しぶりだが記憶と大分違う。梅は5分咲くらいだが、赤い花と白い花が区別されて植えられているので派手さがない。大阪城公園の様に早咲、遅咲きまた赤白と混植されていると派手さがあるので梅見となると大阪城の方に軍配が上がる感じだ。
子供の森で昼食の後自己紹介があり、首から下は元気だが上はガタガタといったが、竹山氏が米寿と紹介してくれ注目の的になる。南下して東明寺を過ぎ予想外の矢田寺へと行き、それより矢田峠を越え萩の台駅にて解散.この矢田峠が疲れた足には案外厳しかった。
今日はカメラにメモリカードを入れるのを忘れ大失敗。
3月6日 娘のおごりで木屋町の「菊の井」で食事する。久方ぶりの京料理で昼食には勿体ないぐらいだ。
3月4日
Drag'n DropによるCD書き込みができず、随分と時間を取られたが原因の解明が出来て一安心。原因はDrag'n Drop内を白紙にしておかないとエラーがでる。
2月27日
先月末から所用があったり、体調を考えしている間に1ヶ月たってしまった。今日は
「JR城陽駅−鴻の山118m−城陽市青少年野外活動センター(友愛の丘)−森山遺跡−大蓮寺−青谷梅林 −JR青谷駅」を歩く。
このコースは城陽市、井手町、山城町、木津町の共催で熊野古道に便乗してつくられた道で、最初の催しに参加して城陽駅から木津駅まで歩いた。それ以来城陽から途中まで4回歩いているのでボケた頭でも割合覚えている。友愛の丘は行くたびに整備されている。
何時も通り過ぎていた大蓮寺には芋の形をした碑があり、まさしく「芋の碑}で、享保元年(1716年)、琉球から苗を持ち込み「芋宗匠」と崇められた島利平衛と妻の二人が納骨されている。今でも城陽周辺では「寺田芋」として珍重されているそうだ。梅林は厳冬のため白梅は蕾も堅く3月に入らぬと花は見られないだろう。寒いので甘酒を飲む人が多い。我が輩もその一人だ。
駅近くの青梅小学校の校庭に珍しく二宮金次郎の銅像が残っていた。上椋さんは「今の子供は本を読みながら歩くと交通事故を起こすという」と話していたが、今の先生達はこの二宮金治郎をどう教育しているだろうか
●この分の写真が見あたらない。フォールダ内を探すがわからない。
2月15日 ●私の健康法●(続)
80歳頃より寒くて寝付きが悪くなってきたのでアンカーを使うようになった。2年ほど前入浴時にしもやけのように足の先がジーンとするようになった。血の循環が悪いのだと思い赤外線をかけるとともに、寝ころんで足先を上にして振ることを心がけた。
1年ほどした冬にはアンカーが入らなくなり、次の今冬は素足で寝てもほこほこして寒さ知らずだ。今後も続けて実施して行くつもりだ。
2月10日 ●私の健康法●
最近よく私の健康法についてよく聞かれるが,歩くことが健康法と遮二無二歩いていた。
しかし、75歳の時の春に北山の方に行ったおり、車から降りてすぐ登りにかかったが,その節何か息苦しく早々に初めてリタイヤーした。健康に特に意識し始めたのはこの時からだ。
晩酌を止めるか山行を止めるかどちらをとるかと、一時は真剣に考えながら山行を続けた。 たまたま、アロエ、ニンニク、梅の焼酎漬けが良いと聞き毎日ウィスキーのシングルカップ一杯を飲み始めた。半年ほど経つと体力も元に戻り、晩酌止めずに山行も続けることができた。
それから十数年み続けておりアロエ、ニンニク等が身体にしみ込んでおるのだろう。体力はぼちぼち落ちていったが年のせいと意にしなかったし、焼酎付けを飲み続ける以外の健康法は特に考えなかった。
ただ、体操だけは起きたときに30〜40分位していた。
1月31日
UPIDの COUNTERを付ける。(広告なしのカウンターをつけたいが資料が見つからない)
1月29日
淀の原山歩クラブの例会で熊野街道を歩く。
コースは「南森町駅−天満橋−坂口王子伝承地−四天王寺−阿倍野神社−住吉神社−浅香山駅」(約14Km)
このコースは昨年個人で散歩がてらに2回に分けて歩いた。
今日は南森町で下車し天満天神を参拝後八軒家に向かう。熊野街道は天満橋近くの八軒家船着場跡の碑からスタート。この碑跡の西側の御祓筋を南下する。少し行くと内平野町の通りがあり、小生の生誕の地であり、また少し行くと中大江公園があり、その西側に中大江小学校がある。これは小生の母校で懐かしい。
中央大通りを越えると南大江公園で坂口王子伝承地の案内板がある。さらに進むと榎木大明神の樹齢650年と言われる巨大な樹がそびえている。直木三十五の生誕地跡の碑がある。これより東に進み上町台地を四天王寺まで歩く。途中に焼け残った昔ながらの虫籠窓の民家が残っているのは驚き。
四天王寺で一服、名物の釣鐘饅頭を買う人がいる。南門の所にある熊野権現礼拝石にて記念撮影。その後堀越神社に行く、境内に第一皇子窪津王子が祭られている。
その後チンチン電車の走る阿倍野の商店街を経て、途中旧道に入り阿部王子神社にいたる。府下の王子社は大半姿を消し、王子跡の石碑でその存在を知ることができるが、いずれも後に立てられたもので、当時のまま残っているのは阿倍野王子だけとなった。
さらに南下し万代池公園で昼食後住吉神社に着く。ここで大休止した後最後の浅香山駅の向かう。住吉では元禄年間から住吉大社の名物だった「さつま焼き」がほとんど全員買ったのには驚き。店にあった品が無くなったのではなかろうか。住吉神社を出た頃から両足の付け根が痛みだす。斯様なことは初めての現象で駅に着きホットする。
●写真の左 銅板の案内図が所々に設置されていた。 右は八軒屋の船着き場の石碑。
1月24日
H2Aロケット8号機の打ち上げ、16分後に陸域観測技術衛星「だいっち」を分離、予定の衛星軌道に投入し、打ち上げは成功した。
日本は過去に3dを越える大型衛星で、長時間の運用に成功した実績が無く、大規模災害時に衛星を使って国際協力への参加が遅れていた。総重量4dの大型衛星である「だいち」は計画通りに運用することも、国際貢献に向けた大きな課題である。
「かんたんラベル王」を利用し名刺の再編集が出来ない。新たな宿題ができた。
1月23日
高槻の医大眼科の診察日。最近は3ヶ月毎に白内障の診察を受けるが、進行が殆どないためか次回は4ヶ月後の5月だ。診察に3時間弱は見ておかなければならないのが難だ。
1月22日
久しぶりに阪急電車主催の
「妙法寺駅−高取山神鉄・鵯越駅−鳥原貯水池−湊川公園駅−新開地」 (約13Km)
のコースを歩く。集合は10時〜10時半となっていた、加減して15分過ぎに妙法寺駅に着く。
何時も なら大勢が出発を待っているのだが、数人の係員が待機し到着した参加者は係員から地図を受け取ると次 々と出発している。以前はリーダーが先導していたが、他電鉄と同じように各人に地図を渡し個々に歩く ようになったのだ。
ゆっくりと駅を出たので大半の人は出発済みで皆の後を追うように歩き出す。妙法寺では多数の参加者が休憩していたが、高取山を登り出すと皆次々と追い抜いていく。
次の電車で来たのだろうと思われる多数の参加者もどんどんと追い抜いていく。三角点に立ち寄り写真を撮っている間に人陰 が少なくなってきた。
いったん高取山を下り切り、鵯越駅に向かって緩やかな坂を上っていくのが案外草臥れた。貯水池手前の公園で十数人が食事をしていたので自分もザックを降ろし昼食を摂るが先客はそ間に全部立って行ってしまった。
食後鳥原貯水池の南側を伝って市街地に出る。この道はウオーキングに最適な道で多くの人にであうが、皆に追い抜かれて最終近くを歩いていると思うと何か草臥れた感じだった。
●写真は新しい高取山の三角点
1月19日
久しぶりに散歩をしていると、道路にテレビや冷蔵庫が捨ててあった。急に不法投棄が気になりだし、注意して歩いていると、随分といろんなものが捨てられていた。
家に戻り、家人にそのことをしゃべると、近所の主婦が、通りかかった有料の廃品回収の人に3千円を渡して悪くなったテレビを処分して貰ったがそれから小1時間して自分が散歩していると、そのテレビが空き地に放り投げられていたという話をした。
こちらは思わず笑ってしまったが笑い事では済まされない。そんな詐欺商法みたいなことまで起こっているのかと呆れたが、マンションの手抜き工事をやっても、平気な顔をして生きている人間達もいるのだから、このくらいはかわいいものかとおもってしまった。
1月14日 戦友の田中常男君の訃報が入る。残った戦友が少なくなった。それも大半元気がない。
1月13日
便利そうだと思いSpeipnirをインストールしたが、ホームページのソースが見られない。またリンク先が見られないというトラブルがあり、意を決してアンインストールをする。また時間を見て検討したい。

1月6日
近畿山岳愛好会の初歩きの例会例会で阪神御影駅より旧谷崎邸、沢の鶴等に寄り西灘駅
まで歩く。約10`弱の軽いコースだ。体調は至って快調で今年1年は歩けそうだ。
● 写真は文豪谷崎氏の旧邸
1月2日 御所の内クラブの「歩く会」(年長者会のクラブ活動)の初歩き。週2回朝準備体操の後40分ほど早足で歩くのと年6〜8回ほどハイキングを楽しむ。今日の参加者は16名