介助奮闘記     

お礼とお詫び
 誠に勝手ながら、当方のわがまま・気ままにより「介助奮闘記」はこれで終了といたします。わずかな期間でしたが、ご愛読いただいた方には心からお礼とお詫びを申し上げます。ありがとうございました。
(2004.05.24記)

  はじめに
 今まで実父(実母は18年前に他界)と同居しながら、老人介護、介護保険などの言葉は、他人事のように聞いていましたが、我が家もいよいよ現実になってきました。妻には苦労をかけることになり、くまさんこと私は、ただオロオロするだけでまったくの役立たず。これからいつまで続くかわかりませんが、虚実(?)を交えながら日記風に記録することが私にできる唯一の親孝行(?)だと勝手に結論付けました。
 皆様方からいろいろなご叱責を覚悟しています。ご意見・ご感想は表紙にあるメールからお願いします。
                                                          (2004.02.14記)

 満89歳   身長(自称)153cm   体重 30kg未満(骨と皮?)   最近は耳が不自由になってきている。  

2003年12月    父、いつものように自宅の台所の上部に祀ってある神棚を清掃し、その後拍手を打ち、両手を合せてお辞儀をして、顔を上げると、その勢いのまま仰向けに倒れ掛かってきた。たまたまその場に居合わせた妻と娘が咄嗟に父の背中を支えて事なきを得た。

 娘 「アッと思ったら勝手に手がでていた。びっくりした」

2003年12月18日 夕方、2階の父の部屋から「ドスン!」。妻が慌てて父の様子を見に行くと、

 妻  「お義父さんどうしたんですか?」
 父  「尻餅をついた。よく聞こえたな」

 介添えしてベッドに寝かす。(我が家はプレハブ作りのため、音がよく響きます)

2003年12月19日 父、背中の痛みと下半身の麻痺を妻に訴える。かかりつけの開業医に妻が電話し事情を説明。O大学病院宛の紹介状を書いていただくことになった。

2003年12月20日 朝から吹雪が断続的に降り、寒い一日でした。紹介状を持って、O大学病院の脳神経外科で検査と受診。診察の結果を妻と一緒に聞きました。検査はX線、CTとMRI、それと問診でした。

 医師 「おじいさん。今日は何月何日ですか?」
 父   「12月19日」(ブー 一日間違えました) 
 医師 「おじいさん。この病院の名前がわかりますか?」
 父   「O大学病院」(ピンポン正解です)
 医師 「100から9を3回引き算してください」
 父   「91.82.73.64・・・」(スラスラと答える)
 医師 「すごい!おじいさん全然ぼけてへんわ!」
 父   「・・・・・」(ピンポンピンポン 当然という納得顔)

 その後医師から懇切丁寧な説明を受けました。

 医師 「手足の震え、まっすぐ歩けない、尻餅をつくといった症状は、平衡感覚をつかさどる小脳での梗塞が原因。年齢を考えれば梗塞を防ぐ薬物療法の副作用の方が心配。今後も脳梗塞がおきる可能性はあるので、半年に1回は検査を受けること。下半身の痛みは腰椎が詰まってきているため。今度尻餅をつくと圧迫骨折で半身不随の寝たきりになる。治療全般についてはおじいさんの主治医である開業医と相談し、開業医の方から処方してもらえるように連絡しておきます」
 妻   「先生!義父に2階から1階に移って寝起きするように言ってください。家族の言うことは、全然聞いてくれないんです」
 医師 「おじいさん!1階で生活した方がええよ!」
 父   「はい、はい。先生のお名前は?」
 医師 「(苦笑しながら)川端です。具合が悪くなったらいつでもきてください」
 父   「ありがとうございました」

 朝9時から午後2時まで。大学病院の付き合いは疲れました。
 車をおりて家の前で父から一言。

 父  「2階でええよ」
 私 妻 「・・・・・」

父の短歌が掲載されている歌集 歌人仲間から寄贈された歌集

2004年1月6日   昼すぎ外出先に妻からくまさんこと私の携帯電話に不吉なベルが鳴る。電話を取る前から気持は動転、血圧は上がり不機嫌になってくる。

 私   「(周囲の目を気にしながら)何や、どうしたんや?」 
 妻   「買物から帰ったらお義父さんが台所で倒れていたので、『どうしたんですか?』と聞いたら『踏み台に乗ってたら足を踏み外してしもた』というので、何とか2階へ連れていったけど、心配なのでお義父さんに『どこか痛いですか?病院へいきましょうか?』と聞いたら『背中、腰が痛い。病院へ行く』と言うの。すぐに帰ってきて」
 私   「タクシーでも呼んだらどうや」(取敢えず逃げの姿勢を示す頼りないくまさん)
 妻   「私一人でお義父さん2階から下ろされへん」
 私   「そんなに悪いんやったら救急車を呼んだらどうや」(むなしい抵抗)
 妻   「ご近所の目もあるし。どうしても無理?」
 私   「わかった。2時には帰るわー」(初めから素直に言えばいいものを・・・)

 近くに(車で5分または自転車で10分)ベッド数243床の総合病院のT病院があり、電話で診察依頼。了解を得て父と妻の3人で車で行く。
 診察の結果、軽い脳梗塞で尻餅をついたため、老齢からくる腰椎の圧迫骨折。最低2〜3週間の安静。熱もあるので、即日入院。この日からてんやわんやの介助のはじまりになりました。

2004年1月7日    この日から妻の日課として、父の昼夜の食事の介添えで病院通い。朝食は病院で対応してくれた。熱も原因不明のままで1週間後には下がってしまった。腰椎圧迫骨折の痛みについては、安静が一番で特に治療はなかった。病院として、各種検査を実施されたが、幸いにも特に治療を要する病気はなかった。

2004年1月17日   
腰椎の圧迫骨折の痛みを軽減させるコルセットが出来上がってきた。風呂、寝ているとき以外は必ず着用し、最低3ヶ月間を着用すれば少しは楽になってくると言われる。このころあたりから父が退院を口にするようになってきた。

2004年1月19日   妻が主治医からいつ退院してもよろしいですよと言われる。退院後の世話について病院のケアプランセンターの相談員を紹介され、今後について相談する。

2004年1月23日   T病院系列のデイサービスセンターW園のケアマネージャーを紹介され、介護保険の要介護認定・要支援認定の申請書の代行申請を依頼し、 退院後のW園の利用について説明を受ける。

2004年1月26日
   補装具のコルセットが9割公費負担とのことなので、関係書類を持参して市役所へ行くが、担当窓口がわからず、3箇所目の窓口でやっと申請できた。窓口の応対は、昔と違って丁寧、親切でした。

 同日、W園のケアマネージャーが介護保険の要介護認定・要支援認定の申請書の代行申請をしてくれていた。(これは本当に助かりました)

 妻は病院でできれば週末にも退院をと考えて打診していた。

 妻   「そろそろ退院を考えているのですが・・・」
 病院 「(待ってましたとばかり)それでは明日の朝退院されますか?」
 妻   「(慌てて)明朝は用事がありますので夕方にでも」と、つられて言ってしまった。
 病院 「それでは夕食はいりませんね」と、たたみかけられてしまった。
 妻  「はい。よろしくお願いします」と、返事をせざるを得なかった。

 なぜ退院を急かされたのか?つらつら思うに。
 @ 医師から「どこも悪いところがありませんので、コルセットさえ合えば何時退院していただいても結構です」と言われていた。
 A ある日、病院内を徘徊し、行方不明として看護師等を慌てさせた。
 B 車椅子を断り、倒れそうになりながら一人でトイレ等へ行き、看護師等をいつもハラハラさせていた。
 C 深夜、看護師を呼ばずに一人でトイレへ行きベッドに入ろうとして床に倒れこんでしまい、自分でおきれなくなってしまった。同室者全員寝たきりの人ばかりでしたが、そのうちの誰かがナースコールを押してくれたので、事なきを得た。
 D 体が痒くなると言ってコルセットを着けなかった。
 E 退院後の父のケアを相談していた。

 結論として、病院側はわがまま老人の規則破りに困り果てたというところ、こちらから退院を切り出したので、「渡りに舟」だったかもしれません。

2004年1月27日   父、退院の日。妻は、朝からW園のケアマネージャーと退院後のデイサービスの開始日、家の改造等の打ち合わせ。私は父の部屋を2階から1階に移動させるため、前日からてんやわんや。できるだけ今までの生活と変わりがないようにベッドの向き、布団、テレビの向き、家具の置き場所等を同じにした。昼から病院へは次姉も駆けつけてくれて身の回りの整理を手伝ってくれた。病室のベッドで座って待っている父に私が話しかけた。

 私  「お父さん!退院するについて病院から注意があったで」(実際は何もなかった)
 父  「そうか」(聞く気はないようだ)
 私  「これからは1階で生活すること」(病院がそんなことを言うはずがない)
 私  「風呂はデイサービスで週2回入浴サービスがあるから、それを利用するでぇー」(医師は自分自身、また家族が協力できるのなら家の風呂OKといっていた)
 私  「医者から毎朝体温を測るように言われてるでぇー」(医師はそんなことを言ってませんが、結果的には適切な判断になりました)
 父  「(妻を見て)支払いが済んだら帰ろか」(まだまだぼけていません)

 病院の方々の見送りを受けて挨拶して3週間ぶりの帰宅。1階の部屋に入り妻にお茶を所望し、一口飲んで顔をクシャクシャにして一言。

 父  「やっぱり家のお茶が一番おいしい!」
 私 妻 「(お愛想笑い)・・・・・」

父の歌集から

歌会に席置き四十年時を経し且ての歌友をさて訊かれても

七十路に賀状の数の減り目立ち 八十路は一層淋しさつのる

(2004.02.14)

介助奮闘記 弐

このページの先頭へ