急性心筋梗塞治療日記

はじめに

1997年に急性心筋梗塞で入院、無事生還して現在に至っていますが、その間、心臓病についての知識も得ることができました。そこで自分なりにあらためてこの病気について見つめ直し、一病息災であるためにも、おこがましくも記録を残しておこうと思い立ちました。

がん・脳血管疾患とともに急性心筋梗塞は、現代の三大疾病の一つに数えられており、、身近な病気になってきています。しかし当時の私は、心臓病とは他人事の絵空事であって、自分には関係ないものと思っておりました。病気に対してまったく無知で無防備な私の経験は、みなさまがたにとっては笑止千万かもしれません。それでも自分自身の健康についてあらためて検証してみるよい機会になりました。

なお、記録内容については私の理解不足・勝手な思い込み等が多々あると思います。また、わがままで自分本位で、時にはご都合主義的な性格の私としては、どうしても自分に甘く、他人に対しては厳しく記述している箇所があるかもしれません。悪しからずご了承ください。

この急性心筋梗塞の記録は、当時のメモをもとにして思い出しながら治療日記のような体裁で綴っています。よって、病状の描写ばかりでなく、気持の赴くままに記述しているところもあります。また辻褄が合わないところもあるかもしれません。この点もご了承ください。

もちろん、すべての箇所でご指摘をいただければ訂正させていただきます。
                                                (2006.09.27記)


2006.12.31
おまけ・その他
2006.12.31
主な検査記録
1998.11.01
高血圧入院
1997.11.25
検査入院
1997.06.17
ワーファリン
1997.06.17
大学病院退院
1997.06.05
カテーテル手術
1997.06.02
大学病院入院
1997.04.25
自宅療養
1997.04.24
T病院退院
1997.03.10
T病院入院
1997.03.09
緊急入院
T病院へ緊急入院まで(〜1997.03.09)  2006.09.27記
1980年代から本態性高血圧(家族全員が高血圧症で遺伝性と考えられる)と診断され、降圧剤を服用しはじめました。それでも本気で病気を治そうという意識はなく、薬を飲んでおけばいいんだろうという気持ちでした。この頃のタバコの本数は、40本/日でした。

1990年代に入ってからは、毎日晩酌。タバコの本数は、60本/日に増加していました。この頃から少し走るとすぐに息切れがしていました。

また、時々深酒をすると、背中に痛みが走り、息苦しくなり、そのたびに妻に背中をさすってもらっていました。約10〜30分間、背中のマッサージで少し楽になるというくりかえしを続けていました。

その当時はわからなかったのですが、心臓を取り巻く血管である冠動脈の一部が詰まって細くなってきており、背中の痛みは、酔いが醒めてくると拡張していた血管が収縮して息苦しくなったもので、これは狭心症だったかもしれません。

1996年の秋ごろからは、喫煙するとドドッという心臓の音がたまに聞こえるようになってきました。心臓が悪いのではないかと思い始め、当時高血圧症で通院していたH診療所で心電図、心エコー検査を受診しましたが異常はありませんでした。

この頃にH診療所で、24時間装着するホルター心電図の検査もしました。医師の診断は、「あなたの一日の不整脈の回数が、およそ1000回で、1500回/日以上になれば治療する必要がありますが、しばらく様子をみましょう」ということでした。

1997年1月になると、再びドドッという心臓の音が聞こえるようになってきました。動悸のような不整脈のような感じでした。
1997.02.06
(木)
H診療所にて再度心エコー検査。
専門医(検査技師かは不明)の検査で、午後8時から行なわれました。10人位の予約者で、私が最後でした。検査時間は、およそ20〜30分でしたが、最後の私は10分足らずで終ったように思いました。ということは、専門医が早く終わりにしたかったのか、たまたま私の心臓の調子がよかったのか・・・。
1997.02.19
(水)
H診療所にて心エコー検査の結果異常なしの診断。いつもどおりの降圧剤を処方されました。
1997.03.06
(木)
午後8時頃。自宅で入浴中、約10秒間突然胸が締め付けられるような痛みと胸にビビビと電気が走リましたが、一過性ですぐに治まりました。これが急性心筋梗塞の最初のサインでした。この前兆は個人差があって、一概には言えませんが、72時間前からその兆候が必ず自覚症状として現われると後日聞かされました。
1997.03.07
(金)
午後5時半頃、帰宅途中の路上で再び約10秒間胸が締め付けられるような痛みと胸にビビビと電気が走りましがすぐに治まりました。病院へ行こうかなと思いましたが、先月の検査の時に異常がなかったし、受診しても結果は同じかもしれないと思い、自分が重大な病気に罹っているとは思いもよらなかったので、そのまま帰宅しました。

これが大きな誤りですぐに病院へ行くべきでした。このときの判断ミスが今も尾を引いて、その後はちょっとでも体調が悪いかなと思うとあちらこちらの病院で受診するようになり、結果としてなんでもない場合が多く、恥かしい思いをしています。
これを「神経過敏症」というのでしょう。
1997.03.08
(土)
午後9時ごろ、三度目の約10秒間胸が締め付けられるような痛みと胸にビビビと電気が走りました。そのうちに治るだろうとまだ楽観してました。
1997.03.09
(日)
昼から何となく気分が重く、動きたくなくなり、自宅で横になりながらTVを見てました。

午後5時ごろになって胸に痛みがでて、気分も悪い。ここでやっと自分の体調は尋常ではないと理解しました。夕食の準備に取り掛かっていた妻を呼び、「体調がおかしい。救急車を呼んでくれ」。

その言葉を聞いていた子どもらが「救急車なんて呼ばんといて、格好悪い!」。通院しているH診療所は休日、急患の診療をしていないし、距離的にも少し遠いので、仕方なく「近くのA病院へ電話して、救急で診察してもらえるか聞いてくれ、それからタクシーを呼んで!」と妻に依頼。

そのときの子どもらは、父親がそんなに重病であるとは思わなかったのかもしれませんが、結果的にはタクシーでA病院へ行ったのがよかったのかもしれません。というのは、ご近所のみなさまがたにも知られず、退院後も目立たず自宅療養ができ、普通の生活に戻ることができました。

妻は夕食の準備もそこそこにして、タクシーに同乗、予約したA病院へ。私自身意識ははっきりしており、自分の口で胸の痛み等を日直の医師に説明しました。すぐに心電図の検査。急性心筋梗塞の疑いありと告げられ、当直の医師から「こちらの病院の当直医は心臓内科の専門医ではないので、T病院へ行ってください。T病院では心臓内科の専門医がたまたま当直されています。救急車を呼びます」。数分後救急車到着。妻も付き添いで同乗。

このとき始めて救急車に乗lりましたが、担架が折りたたまれてベッドになり、車に固定されたのですが、私のように意識のはっきりしている者にとっては、とにもかくも乗り心地が悪すぎる。車がバウンドするたびにベッドも揺れる。そのたびに痛みも増してくるようでした。ベッドはベルトで固定しているが、道路の振動がタイヤから車に伝わってくる。その上、急いでいるので運転も荒く感じました。お世話になった救急隊員の方、ご容赦を!

午後7時ごろT病院のICUへ入院。ICUは男女同室。
「エッー」。
そんなことも気にしながら自分の胸の激しい痛みに耐えてました。

このときの当直であった主治医が今もお世話になっているS先生(現在は、T市でS内科クリニックを経営)で、当時はT病院の副院長でした。

S先生の最初の一言が今も覚えています。
「心配いりません。大丈夫ですよ」と励ましの言葉をいただきました。
また「心筋梗塞の原因は、喫煙・ストレス・睡眠不足ですよ」。

手当てが一段落してから妻は午後10時に帰宅。私は一晩中、看護師に痛みを軽くするよう訴えていました。
しかし看護師からの返事は、「痛み止めは頻繁に使用しないようにと先生から指示されています。我慢してください」。
痛み止めのモルヒネを大量使用しない方がよいということでしょう。

このとき、胸の痛みをこらえながらも、不思議にもこれで人生が終わりかという気持にはならなかった。

心臓は無線の心電図モニターで終日チェック。酸素吸入マスクを使用。点滴は、胸の動脈(静脈か?)から痛み止めの他、抗凝固剤、狭窄部位を溶解する薬等をを注入されていたのかもしれません。心筋梗塞の原因のうち、喫煙・ストレスは身に覚えがありますが、睡眠不足については、寝過ぎのほうなので関係ないなァとそのとき思いました。

この日から長い闘病(?)・療養(?)生活の始まりでした。

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