神岡鉱山
岐阜というよりほとんど富山に近い所にある亜鉛の鉱山である。名前はご存じの方も多いと思う。あのイタイイタイ病の原因となった鉱山である。鉱山資料館があるので行ってみた。ガイドブックには飛騨神岡から歩くように書かれているが、下って登ってになるので、次の神岡大橋から歩いた。ここからだと下り一方である。 神岡大橋を渡って左に引き込み線?の廃線跡の道路を歩くと資料館の近くまで辿り着く。資料館では「ビデオ見ますか?」と聞かれ、亜鉛の精製のVTRを見せてくれた。なお、公害関連の説明はほとんどないので、行かれる方はそのつもりで。入館券は郷土館・神岡城とセットになっていたと思う。神岡城はかわいい(といっては失礼かな?)城である。
神岡は「水の町」でもあるそうで、町のあちこちに湧き水の水屋がある。一杯いただいたが、美味しかった。 「花乃屋」という料亭(一人で座敷に通され緊張した)で食べた「蒸し寿司」が旨かった。安かったしこれはお勧め。
年に一度(7月20日頃)、トロッコで鉱山跡(今はニュートリノ検出施設)に入れるGSAというイベントをやっている。一度行ってみたい。あ、そうそう。神岡鉱山前のコンビニは「ニュートリノ」という店名だった。
1996年夏訪問
妻籠・馬籠
どちらも言わずと知れた中山道の宿場町。だが様子は大いに異なる。
軽井沢を発ち、長野で一泊して中津川へ。バスに乗り換えて馬籠に向かった。(妻籠の方が長野寄りだが、接続が悪かったので)このバス、何とか座れたもののとても小さいバスが来るので行かれる方は早めに並ぶ方がいい。
馬籠はかなり手を入れて古い街並みを再現?しようと整備している。しかし、とにかく人が多く(しかも坂がきついのでくわえタバコの副流煙をくらうことが多い)、土産物屋が目立つ、いかにも「観光地」という感じで少々疲れた。
バスで妻籠に移動。妻籠バス停の少し手前で妻籠の宿場町が見えてきたので適当に降りる。こちらは馬籠のように石畳の部分は少ないが、人がうまく分散して(もともと妻籠より人が少ないようにも感じた)落ち着いた感じ。馬籠のいかにも整備しましたという感じ(何年かすればこなれてくるだろうが)とは異なり、整っていないが建物などが古いまま残されているという印象。
テレビで伝えられる雰囲気と実地はかなり違うものだが、妻籠についてはJR東海のCMとさほど違わないように思う。まあ、さすがにあれほど落ち着いてはいないが。
※馬籠は中津川市との合併で長野県から岐阜県になりました。妻籠は長野県です。
1997年10月訪問
御嵩
産廃と町長襲撃事件で揺れていた町だが、行ってみてかつて大きな宿場町だったこと(今でも裁判所の支所がある)、かつて亜炭の採掘で栄えたことなどを知った。図書館にその辺の資料館が併設されているので、行かれることを勧める。あまり観光化されていないがとんだ拾い物の見どころだった。
1996年夏訪問
野外民族博物館リトルワールド
明治村の近くで名鉄がやってる野外民族博物館といった趣のテーマパーク。まだ拡張中ではないかと思わせるほど、各施設の間に距離があり、それが規模を大きく感じさせて(実際面積は広いと思うが)客を飽きさせない。うまく作られたテーマパークである。
各国の民族衣装を借りて(有料)写真撮影ができるので、女性はカメラを忘れずに。
1992年春訪問
2005年9月以降(愛知万博の後)に閉園の方針のようです。行くなら早めに。
なめくじ地蔵尊
下呂から中津川の方へ峠を越えたところ加子母村という村がある。旅行に行ったのではなく、仕事でクラブ合宿の引率でいったのだけど、猛暑・少雨で給水制限する所が続出している中、ここは毎晩夕立があり、気温も下がって過ごしやすかった。
さて、宿の近くに「なめくじ地蔵尊」というのがあり、毎夏決まった時期になるとなめくじが沢山現れるのだそうだ。そのなめくじにはみな刃傷の痕のような模様があり、これについて何か伝説があったはずだが忘れてしまった。実際、その「なめくじ地蔵尊」に連れて行ってもらったのだが、少し時期が早かったようで、なめくじはいなかった。
1992年夏訪問
関の刃物まつり
岐阜県の関は「刃物のまち」なんだそうだ。ちょうど訪れたときに「刃物まつり」をやっていて、刃物関係(包丁とかナイフとか鋏とか)を安く売っていた。鋏を買った屋台では連絡先を示して「具合が悪くなったら持ってきてください」と言われた。頻繁に来れるところではないし、安い物だったのだけれど、その姿勢が嬉しい。
お昼に鰻を食べた(すごく濃厚な味つけだったが旨かった)後、日本刀鍛錬の実演を見に行った。ぎりぎりに行ったら、すごい人、人、人!前の人の頭の隙間からみてたら、鋼が途中で折れてしまい、くっつけようと努力したものの失敗だったようだ。大勢の前だから緊張した?でも本人はバツ悪いんだろうなあ。カメラマン(アマだと思う)が場所の取り合いで喧嘩してて見苦しかった。
1997年秋訪問
美濃
和紙と「うだつ」のある家並みで有名なのだが、ここへは水琴窟を見に(聞きに)行った。ここの水琴窟は特に筒などで音を拾わなくてもはっきりと音が聞こえる。ただ、日陰で水があり人が来るので、ヤブ蚊のえさ場?になっていた。長居は無用である。その近くの土産物屋で和紙を使った絵を「幸運が訪れるかも」「ひとつだまされたと思って」などと霊感商法まがいの売り方をしているのに立腹。家内に「早よ行こ」と急かして街を後にした。
1997年秋訪問
淡墨桜
根尾村改め本巣市の有名な桜の古木である。花も見頃の土曜日であり、樽見鉄道の臨時客車列車に合わせ1本早い列車で大垣に行こうと思ってたが寝坊した。直前の列車で大垣に着いたら案の定座れなかった。(但しまだマシな方で、レールバスは途中で車を停めて来る客で通勤ラッシュ並みの混雑)終点の樽見駅から徒歩15分ほど。途中仮設店舗なども多く、おそらくこの村の年に一度の大イベントなのであろう。
公園には多数の桜が咲いているが、淡墨桜は独特の色合いで、側に植えられた淡墨桜2世の樹と合わせて、ひときわ異彩を放っている。散りそめのころの姿が名前の由縁らしいのだが、満開の桜も十分美しい。幹は中央が空洞になり、添え木とロープで支えられて「延命」されているのだが、写真でみるほど違和感はなく、痛々しさはなくて風格を感じるほどであった。もの凄い人出であったが、周囲が広い範囲で立ち入り制限されているため、意外と写真に撮りやすかった。
公園入口の斜面からは遠く白山の雪に覆われた頂が望め、桜とのコントラストが美しかった。
残念だったのは昼食。公園付近の仮設店舗は高いと思って避けたのだが、駅付近の繁華街も特別メニュー&料金で、「アマゴ煮付け定食」のアマゴはどう考えてもパックの甘露煮であった。これなら弁当持って来るか買ってきて、公園で広げて食べた方が良い。
帰りの列車もレールバスは通勤並みラッシュ。積み残しも出ていたので、のんびり(といっても並ばないといけない)臨時の客車列車を待った。定員が多いので混雑もひどくなく、行かれる方は臨時列車をお勧めする。
根尾村(合併後いつまで残る?)
1997年夏訪問
谷汲山(華厳寺)
本降りの雨の中、レトロな電車が着く名鉄の谷汲駅から歩いた。ここも水琴窟があったが(訪れたのはここが先)、音が小さいのか、管で音を拾って聴くようになっていた。門前町で売っていたういろうが旨かった。が、日持ちせず翌日には黴びてしまった。ああ勿体ない。
1997年夏訪
大垣
ムーンライトながらが「大垣夜行」だった時代から乗り継ぎ駅としてよく利用してきた。しかし、観光してみると結構風情のある町である。松尾芭蕉の「奥の細道」が大垣で終わっていることは知っていた。その関連の博物館でもないかと駅の観光案内所で聞いてみると、「奥の細道むすびの地記念館」が徒歩20分ほどの所だと言う。大垣城の公園を斜めに横切り、着いてみると公的施設(大垣市総合福祉会館)の歴史資料コーナーといった趣であった。規模は小さいのだが入場無料なので良心的であると思う。展示によると芭蕉の友人、谷木因らを訪ねて芭蕉は4度大垣を訪れ滞在している。そして、奥の細道の旅を終え、ここ大垣から川船で桑名へと下ったのだと言う。その場所とされる船町港が近くに残り、おそらく一度は放置されたのだと思うが、今ではきれいに整備され『蛤のふたみにわかれ行秋ぞ』の句碑が立つ。そのすぐ下流からは整備されていないのだが、逆に昔の雰囲気を残しているのではないかとも思う。
しかし、感心したのはこの水路を遡ると駅付近まで延々と続いており、しかも水が結構澄んでいて水草が茂り、その水草の間に大きな鯉がたくさん棲み着いているということであった。昔からこうだったのか、一時は汚れたのかは知らないが、みかけた「水都 大垣」という看板はは偽りではなかった。
2004年1月訪問
※駅にあるのは西美濃観光案内所。大垣観光案内所は「奥の細道むすびの地」の近くにあります。
養老:天命反転地と養老の滝
新聞で天命反転地のことを知り「おもしろそう」と行ったのだが、能書きほどのことはないように思う。子供の反応はどうだか知らないけど。それより、日本三名瀑には入らないようだけどそれに次ぐほど有名な養老の滝が良かった。周囲も公園で車が入らず落ち着いていて、滝も迫力はないが優美な滝だった。
1997年秋訪問
番外編
中央線のとある駅(車内で買った)の「うなぎ弁当」は嬉しくて涙が出るほど鰻の資源保護に協力している。皆さんも鰻保護に協力するつもりで買っていただきたい。値段の半分は鰻保護基金に寄付されますと言われても信じてしまうほどの量で、家内の激怒は並大抵のものではなかった。