大和歴代天皇陵墓
スイゼイ カムヌナカワミミノミコト
二代 綏靖天皇 神沼河耳命 神武天皇の第3皇子 母 皇后媛踏鞴五十鈴媛命
在位前581年 1月 8日〜前549年 5月10日 45歳
ツギタノオカノウエノミササギ
桃花鳥田丘陵 陵 形 :円丘
奈良県橿原市四条町
神沼河耳命 葛城の高岡宮に坐しまして
天の下治らしめしき
御陵は衝田岡にあり
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古事記が編纂されたのは奈良時代元明天皇の
時代(707年 〜715年 )しかし、編纂を
命じたのは天武天皇(673年 〜686年 )
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天武天皇は各種の記録が時代と共に虚偽が
書き加えられているので、このまま放置すれば
数年を経ずして、真実が解らなくなるので、
今の内に整理して、真実を後の世に伝えたい。
との事でしたが、
実際には、長い間語り継がれて来た日本の歴史を蘇我一族や
その他の豪族達が勝手に捏造し、各自己に有利な歴史を
主張する時代があり、語り部達も混乱していたのです。
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実際に誰の言うことが真実であるのか解らない、しかし
解らない時には、解らない部分を権力を握った者が
適当に修正したらよい。
歴史とは所詮その様なもので、書類に記されているか
否かはそれ程問題ではない。
しかし、当面必要な事は当時天武天皇に従う豪族達全てを
満足させる内容でなければならない。
彼等も各語り継がれた自分たちの歴史を持っていて、
それが彼等の現在の地位を保証するものであれば、
迂闊な変更は出来ない。
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それが日本の語り継がれた歴史であり、その歴史を
作り替えようとして蘇我氏は滅んだのです。
絶対的権力を握った天智、天武の両天皇も迂闊に歴史を
捏造する事は出来なかった。
歴史の変更には各豪族の合意が必要であったし、迂闊に変更すれば
辻褄が合わなくなる。
編者の太安万侶自身は中国の歴史書も読んでいたし、中国式の歴史書の編纂も
出来たと思われるのに、古事記自体は、日本式の形態です。
それは正五位という身分の低い役人に出来た事は、天皇の意を受けて
現存する資料を出来るだけ忠実に編纂する程度の事で、大胆に真実を述べる事も
出来なかったし、勝手に歴代天王を創設する事も出来なかった。
各天皇の陵墓を指定する事も出来なかった。
とすると、やはり当時語られていた歴史そのものと解釈すべきだと思います。
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大久保 晃